自分を守るのは自分しかいない
「自分を守るのは自分しかいない」
こんな当たり前のことが最近まで分かりませんでした。
今まで人のため、家族のためにどれだけの労力とお金を使ってしまっただろう・・・
メンタルが壊れて鬱状態になるまで、いろんなものを人にあげてしまいました。
後悔してもしきれない。
親に愛されない分、他人に認めてもらいたくて過剰に親切にしていたけれど、やればやるほど自分がどんどん疲れて行きました。
やがて人に会いたくなくなり、外に出ることもできなくなり、こっちが勝手にやっていることなのに、相手にも見返りを求めるようになりました。
そうして、そういう対人関係にひとりで勝手に疲れてフェードアウト。
相手の人からしたら、一体何がなんだか分からなかったでしょう。
勝手に親切にして、勝手に疎遠になって、今はもう連絡すら取っていない人が何人かいます。
他人との適切な距離が全然分からなかったんですね。
赤の他人に、家族の愛情を求めていました。
自分が満たされないから、他人に対して色々求めていたのだと、20代を振り返って思います。
もっと普通に接していればなあと、夜思い出して後悔することがある。
自分が疲れない程度に、適度な距離で他人とかかわることができていたら。
今も続いて、ずっと仲良くしてくれるような友達がいたのかもしれない。
自分を疲れないようにさせ、自分が傷つかないようにできるのは、実は自分しかいない。
どんなに近しい関係の人にも、自分の好みや欲求、全てを知ってもらうのは無理です。
自分は一体何が嫌なのか、何に傷つくのか、何に疲れるのかを知っているのは自分しかいない。
だから、「自分はこれはやりたくない」「自分はそれをやると疲れる」ってことを、ちゃんと言葉なり態度なりに表現して、相手に伝えないといけないんだってことが最近になって分かりました。
「そんなこと当たり前じゃないか」と笑われるかもしれない。
こういう感覚は長年虐待を受けてきた人でないと分からないのかもしれないですね・・・。
小さいころから、自分の意見や意志が通ったり聞いてもらえたりすることなど皆無だったので、自分はひたすら他人に合わせて我慢しないといけないんだと思い込んでました。
本当に完璧に思い込んでいるのです。そしてそれが美徳だとも思わされている。
それで、こんな風に30も過ぎて、当たり前のことに気がついてびっくりしているのです。
虐待を受けている子どもは、「自分の意見を言うことは悪いことだ」、「自分の都合を言うなんて大変わがままなことだ」と暴力を伴いながらひたすら教え込まれて来ています。
私もそうでした。
だから、今、仕事をしていてこちらの都合を相手に言わないといけないような時も、毎回とても怖いし、非常に大きな罪悪感を感じてしまいます。
相手は、最初は私を控えめな人だと思っていたり…、しかしそれも度を越すと「なんでも人に譲る、自分の意見の無い変わった人」「やる気のない人」「居ても居なくても変わらない人」といった認識になってしまい、対等な扱いを受けなくなる気がしています。
どうやって自尊心を取り戻せばいいのか?
少しずつ、少しずつとカウンセラーさんは言っていました。
生きにくさはまだまだすごくありますが、でも前ほどじゃない気がします。
まだ怖いけれど、少しずつ前に進めているのかもしれません。