いつか、雨はあがる。

虐待でうつ病、パニック障害を発症。自殺未遂、向精神薬・安定剤依存、入院を経て、現在は非正規で働いています。ようやく前向きになれてきました。

自傷行為について―自殺予防週間

久しぶりにブログを更新します。

読んでくださっている方、お元気でしょうか。

 

今日は仕事が久々に早く終わりました。

ちょっとミスをやらかしたり、いろいろとうまくできない所もありますが、なんとかやっています。

ブログをしばらく休むと報告しました時、メールをくださった方、コメントを書いて励ましてくださった方、本当にありがとうございます。

少しずついただいた善意のあたたかい言葉は全部、私の勇気になっています。

普通の人からしたら何でもない簡単な仕事で、お給料も本当に微々たるものなのですが、私は普通の人間になれるように、そして心の弱さに溺れないように、毎日必死でくらいついています。

 

ブログを久々に更新したのは、NHKのハートネットTVを見たからです。

9月は自殺予防週間ということで、「20代の自殺」の特集をやっています。

昨日は「自傷行為」についてでした。


ハートネットTV:20代の自殺 - NHK福祉ポータル ハートネット


ハートネットTV:2014年9月11日の放送 - NHK福祉ポータル ハートネット

 

私自身、20代のころ自殺したい気持ちと戦う毎日でした。

どうにか今まで生きてこれたのは、薬を大量に飲んだり手をカミソリで切ったりという自傷行為を続けてきたせいかもしれません。

 

ハートネットTVでインタビューに答えていた方の境遇がなんとなく自分に似ており、気持ちが痛いほどよく分かり、ブログを書こうと思いました。

 

よく「構ってほしいから切るんだろう」という意見を聞きます。

そういう人も中にはいるのかもしれませんね。

ただそういった理由で切っているわけでは無い者もいると思います。

私自身がどういう時に切っていたかというと、心が嫌な悲しい感情で埋め尽くされている時、切る以外に感情の処理ができず本当にどうしようも無くてやっていました。

切る時はもちろんいつも一人の時でしたし、切ってしまってからも誰にも言いませんでした。

外では傷跡は見えないよう、夏でもいつも長袖を着て隠していました。

外で誰かにばれたことはありません。

 

今の夫や唯一生い立ちを話してある親友には相談をしたことがありますが、相談をするのも嵐が過ぎ去ってから、切ってしばらく経ってから「実は・・・」と打ち明けて相談していました。

誰かに見てほしくてやっていたわけではなく、そうすることで本当の自殺を防いでいた?というか、自分でも良く分からないのですが、行きどころのない怒りを発散していたのだと思います。

前に記事にも書きましたが、自傷行為をしてしまう理由はストレスの原因に気が付いていないことなんじゃないかと考えています。


リストカットをしなくなった時ー認識しないストレスの怖さ - いつか、雨はあがる。

 

上のリンク記事にも書きましたが、私がリストカットを辞めることができたきっかけは「私は母が原因でこんなに苦しいのではないか?」と悟ったことだった気がするのです。

もちろんそれまでもずっと「母がおかしいような気がする」とは思っていたのです。

いつも自分に嫌がらせばかりしてくる。

母は自分を愛していないような気がする・・・と。

殴られたり蹴られたり散々酷いことをされてきて、それでも母を信じていたのがびっくりですし、そんなにされてもどうしてまだ「愛されているはずだ」なんて思うのか・・・なかなか理解されないと思います。

ですが、私には母のサンプルは母一人しかいなかったので誰と比べようも無く、行動範囲や友達と話す内容なども非常に厳しく規制されていましたので、母がおかしいとなかなか分からなかったのです。

 

でもなぜか苦しい。

やっぱり母がおかしいんじゃないか?

 

そういう葛藤を何度も何度もやって、やっと

「母は実は自分のことしか考えていない人だ」

「私に危害を加えてきているんだ」

と気づいた。

その時、どこへぶつけたらいいか分からずどうしようもなくて自分に向けられていた怒りは、徐々に母に向かって行きました。

そこからぴったりと自傷行為が止みました。

向精神薬睡眠薬をたくさん飲むことも無くなりました。

ずっと悩んでいた自傷行為が治ったのです。

今では「また切ってみよう」なんてことは全く思いません。

そんな痛いことなんでしていたのか。もう絶対に嫌だとすら思います。

 

いろんなパターンがあると思いますが、自傷行為を繰り返し行っている人の中には、「自分が何にストレスを感じているのか、自分でも気付けていない人がいる」

もしくは

「何にストレスを感じているのかさえ、気づけないように巧妙に洗脳されている人がいる」

ということを、どうかみなさんに知っていてほしいです。

 

本当の暴力、虐待というのは、相手を憎んだり怖がったりする自由さえ奪われるのです。

暴力を振るってくる相手に対して「優しいと思え」、「ありがたいと思え」、「感謝しろ」、「お前の方がおかしい」と、強い強い暗示をかけられているのです。

これは本当に怖いことだし、当事者が気づかない限り他人もなかなか助けようが無いです。

そのまま気づかれずに自殺するケースはたくさんあると思います。

 

自分が「怖い」「辛い」と感じるなら、そのまま感じていていいんです。

自分の感覚をどうか信じてください。怖いなら逃げてください。

女性のためのDV相談室 by NPO法人 全国女性シェルターネット
「DV相談ナビ」について | 内閣府男女共同参画局
チャイルドライン
一般社団法人STOP!ABUSE - 一般社団法人STOP!ABUSE

 

私は母に、自分の感情をすべて否定されて育ってきました。

「おもしろいな」と思っても「今のおもしろくなかったよね?そうでしょ?そうだよね?あんなのおもしろいと思う人は気持ち悪い人だから」

「怖い」と思っても「何が怖いのか、怖いと思うお前の方がおかしい、気持ち悪い」と、何から何までそういう言い方をされてきました。

泣くことも許されませんでした。

小さいころの自分を思うと、本当にかわいそうで怒りがこみ上げます。

長い時間をかけてゆっくりと、心を根っこからズタズタにされました。

 

だから今でも、自分が何が楽しくて何が苦しいか分からなくなる時が良くあります。

見るもの全てにフィルターがかかっているような感じで、なんとなく現実感が無いのです。

でもずっと母と離れていればいつか時が解決してくれるんじゃないかって思っています。

現に昔よりはずっと自分らしい感情を取り戻してきたように思うのです。

 

今でも時々死にたくなります。

もしかしたらこういう気持ちは一生治らないのかもしれないけど、残りの人生は自分を大事にしてもう一度やりなおそうって思っています。

 

長文を読んでくださってありがとうございました。

 

私の手の傷の一部写真です。

傷跡はもちろん塞がっていますしもう何年も切ったりしていないので、色もほとんど目立たなくなりました。

怖い写真ではないはずです。

今は腕時計をすれば分からないので半袖でも外に出ています。

元々それ程ひどく切っていたわけでもありません。ハートネットTVで自傷行為を治した女性の方と似ています。

が、もちろん不快に思う方もいると思いますので下の方に貼っておきます。

嫌な方は見ないでください。

 

 

 

 

 

 

 

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ブログ休止のお知らせ

ブログを更新できず、1か月以上経ってしまいました。

御心配くださった方、本当にありがとうございます。

慣れない仕事で苦しんでいますし、気分の波もありますが、なんとか日々暮らしています。

 

なかなか更新できなくなってしまったので、ブログはしばらくお休みいたします。

また落ち着いたら再開するつもりです。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

しんどい時、ずっとこのブログに辛いことを吐き出しながらやってきました。

今、ありがたいことに新しい仕事を任せてもらえることになりました。

お給料も上がるわけでは無いし、ほんとにちょっとした仕事ですが、私にとってはおおごとです・・・。

実は夫も新しい仕事を始め、その手伝いも必要です。

今少しふんばりどころだと思うので、人が怖いですが、がんばってやってみようと思います。

心が壊れない程度に、少しの間普通の人の演技をしてみます。

ふんばりどころが終わったら、またひっそりとひきこもりに戻るつもりです。

しんどくなるのは分かっているので・・・。

一人でこもっているのがいちばん楽なのです。

 

実はまた実家の悪い噂が耳に入り、少し怖い気持ちになっています。

責任を感じ、収拾をつけに帰ろうかと逡巡しましたが、いややはり戻ってはいけない、このまま関係を断ったままでいなければと自分に言い聞かせています。

 

メールフォームはそのままにしておきますので、管理人かな子に話したい事などあったらメールください。

ただ、メールもずっとチェックできてない時もあってお返事がかなり遅れる場合があります。申し訳ありません。

遅くなっても必ずお返事はしていますのでどうか気長にお待ちください。

読んでくださっている方、本当にありがとうございます。

かな子

大丈夫と言い聞かせて

このブログにはいつも「しんどい」ということを漏らしていますが、こんなブログに果たして意味があるのかしらとも思っています。

なかなか希望のある明るいことが書けなくてすみません。

 

今日も職場でとっても疲れてしまいました。

職場ではもちろんプライベートなことや、対人恐怖気味であることなど何も言っていないので、なんにもしゃべらない私は多分おかしな変な人だと思われています。

誰とも話したくなくて早めに仕事から帰っているのですが、やる気が無い人みたいです。

明日は遅くまで残ろうかなと思っているのですが。

 

でもきっと堂々としておけばいいのですよね。

こうやって書くことで認知の歪みを治したりできるといいなと思います。

暑くなってきたので体もちょっとだるいです。

元気になりたいなあ。

 

ペイフォワードと「心病む母が遺してくれたもの」

今日は仕事が休みでほっとしています。

昨日は安定剤を飲みました。

仕事をしている途中で自分が悪いことをしている(人に変な印象を与えている、失礼なことをしている)のではないか?という思いが強くなってきて、怖くなり、罪悪感がすごく出てきました。

 

ある方に私がやるべき仕事をやってもらったのですが、それに対してお礼をしなければ・・・と思い、でもうまくお礼を言うことができず、お礼のつもりが仕事ができなかったことの言い訳みたいになってしまい、とても苦しかったのです。

とにかく相手の方に申し訳ないという気持ちでいっぱいになり「死にたい」と思ってしまいました。安定剤を飲んで人とほとんど話さず帰宅しました。

夜は2時くらいまで起きていて、心がざわついていました。

 

今まで人とのかかわりを楽しいと思ったことが一度もありません。

他人に対する信頼感というのは、人間が生まれてすぐの母親との関係で培われるのだそうです。

そもそも自分には母親との間に信頼関係がありませんでした。

母親は自分に危害を与える存在でしたから、とにかく母親から隠れようというのが、自分が小さい時いつも思っていたことでした。いつもいつも物置に隠れて、その物置だけが安心できる居場所でした。3歳くらいの記憶です。

時に探し出されて「なんでこんなところにいるんだ?!」と引っ張り出されたりしていましたが、見つからないようにいつも息をひそめて隠れていました。

そのことを思いだして、昔から自分は一人が一番楽だったと改めて思います。

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金曜日の夜にやっている「家族狩り」というドラマを見ました。

天童荒太さんの原作のドラマです。虐待や家族問題に関する話のようです。

きっと病んだ人間、病んだ家族と言うのはこの世界に当たり前のようにあるのでしょうね。

人は抑圧されると(ストレスがかかると)、それを自分より下の人間にやらないでは済まないのでしょうか。

「ペイフォワード」という、人から受けた厚意を別の人に渡していく映画がありました。機能不全家庭で育った少年が善意を他人に渡す行為をしていく話です。

この「ペイフォワード」(次に渡せ)の思想を、厚意でなく悪意の譲渡に使っている人がなんて多いことか。

「恩は遠くから返せ」という言葉を大聖寺暁仙という人が言ったらしいですが、厚意はA→B→C→D→ といくら波及して行ってもいいでしょう。

でも、悪意はA→B→C→ となっていってはいけないと思うのです。

やられたらやられた人に返す、A→BならB→A、「ペイフォワード」ではなく「ペイバック」しなければ。

私の母は誰かから少しずつもらってきた悪意?を自分の中で勝手に熟成させ、憎しみに換え、生まれてきたばかりの私にペイフォワードしてくれちゃったんだろうなと思います。

そうして、母は徹底的に私をいじめ、こんな風に生きるのが苦しい人間を一人作り上げました。 

悪意を悪意と感じない人もまずいでしょうね。産まれてから親に悪意ばかり与えられていると悪意を愛情と錯覚し、大人になっても不幸を引きずるパターンがあります。

自分もそうだったのでよく分かるのですが。

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メールをくださる方からおすすめされて「心病む母が遺してくれたもの」という本を読みました。

統合失調症の母親を持つ壮絶な生い立ちの女医さんの話です。自殺未遂を何度も繰り返しながら心を閉ざして働き続けたそうなのですが、自分の20代の苦しみとかぶり痛いほど気持ちが分かりました。

どこにもすがるものが無いさみしさ、怖さ、わらにもすがりたさ…でも誰も愛してくれない。ずっとそばには居てくれない。

しかし、冷たく閉ざされていた筆者の心も様々な経験を経てほぐれていき、今は「穏やかな顔つきになったね」と人から言われているそうです。

死を望み続けるほど苦しい思いをして生きてきて、それでもやり直す気があればちゃんと救いもあると教えてくれる本でした。

親を捨てて穏やかな日々

今日の仕事終わりました。また誰とも話さずに帰ってきました。

あいさつはしたのですがなんだか声が出なくて変な発声になってしまいました。

妙に気分が上がらない時があって、元気にふるまいたいと思っているのですがどうしても声が出ない笑顔も繕えない時があります。

自律神経の問題なのでしょうか。

しかしそれでも前よりはずいぶんマシです。

前は毎日そんな感じでしたが、最近は3日に1度とか4日1度の憂鬱になりました。

最悪の鬱状態からは脱してきたように思います。

これから少しずつ治っていくと信じたい。

 

一番の薬は何と言っても、家族から離れたことです。

飛行機の距離に離れて暮らし着信拒否もしているおかげで、向こうからは一切何の連絡もありません。警察にも相談に行き親が来たら不審者として通報していいとアドバイスもらい、大変心が軽くなりました。

連絡が全く無くなって3か月くらいになるのですが、こんなに長く連絡が来ないのは私の人生で産まれて初めてのことです。

家族からの連絡が無いことでこんなにもスッキリ恐怖を感じずに暮らせるのだと改めて驚いています。

 

親が貧乏で悲惨な暮らしぶりを伝えてきたり喧嘩の内容を言って来たりする度、一体今までどれだけの心労だったか…。

親がお金に困っていることに本当に心を痛めていました。

親がそんな状態なのに自分が普通にご飯を食べて暮らしていることに罪悪感を感じ、自分を喜ばせるような娯楽に興じることは徹底的に避けていました。

服も買わない、お菓子も食べない、贅沢は絶対しない・・・。なぜなら両親がもっとひどい暮らしをしているから。自分が贅沢をするのならそのお金を仕送りせねば・・・と。

今は洗脳が解けましたが、母の同情を誘う口ぶりで長年そんな風に思わされていました。

少し楽しいことがあっても楽しいと感じてしまったことが罪悪感になり、いつも「両親に申し訳ない」とばかり思っていました。

 

カウンセリングにかかって「かな子さんがお金を渡さなかった間もご両親は生活できているのでしょう?だったらお金をあげなくても二人は暮らして行けるんですよ」と言われ、はっとしました。

私が閉鎖に入院し、送金しなかった間も二人は別に飢えたわけではありませんでした。母は装飾品を買い続けていましたし、外にパートに出ればいいのに「近所にみっともないから」と絶対に外に働きに行きません。

 

両親はいつも金銭面で私を頼ってきました。私もそれに応えれば愛情がもらえると思っていました。

反対に兄はいつも両親からお金をむしり取って行きましたが、兄が責められたり否定されることはありませんでした。

何もかも生まれた時から、兄と私の役割は決まっていたのでしょうね。

「兄は母から溺愛される子どもであり私は利用される子どもだった」と、今はもう受け入れることができます。

 

私に安らぎや愛情を与えてくれない親なのであれば、こちらから捨てようと思いました。

どんなに頑張っても尽くしても評価されないのなら頑張ってもムダですし、そもそも親は私を意志ある人間とは見て居ませんから。

今、親を捨ててとても心が楽です。

まだまだ後遺症に苦しめられてはいますが、これから少しずつ元気な日が増えると思います。

どうかこのまま、縁がすっきりと切れてくれますように。

 

このブログをお読みの方で、親に対して不毛な努力を続けている方がいましたら、「親を捨てると楽になりますよ」と言いたいです。

実の親が自分と全く反対の価値観のこともあります。

自分を徹底的に利用し尽くそう、不幸にしようと思っている場合もあります。

なかなか気づけないかもしれませんが、一度考えてみてください。

親は本当に自分の味方なのかどうかを。

小さいころの自分

一人でお風呂に入っている時、よく家のことを思い出します。

一人でぼーっとする時間がお風呂くらいしか無いからでしょうね、ありがたいことです。

 

母は兄のことは大好きだったようで、兄がどんなに悪いことをしても母は兄の味方でした。

兄は小さいころから、父の財布からお金を抜いていました。

私は何度も咎めましたが、親元を離れるまでそれをやり続けていました。

父はそんな兄を叱らずそれに気が付いてもヘラヘラ笑っていましたし、母も咎めませんでした。母は兄を恋人みたいに思っている感じでした。

私は人の財布からお金を抜くなんて泥棒だと思っていましたから、兄の様子は見ていたけれどそんなことは一度も真似しませんでした。

 

もうすぐ七夕であちこちに笹が飾ってあります。

願い事をお書きくださいの短冊に「家族みんな(義父と夫)が健康で笑顔でいられますように」と願いを書きました。何となく、自然と手が動いて書いた願いでした。

そう書いて思ったのですが、母は私や父が元気で笑っていられればそれだけでいい、とはきっと思っていなかったのでしょうね。

 

私には良い学校や良い仕事を(良い仕事と言うのは、人に自慢でき見栄の張れるという意味で)、父にはもっともっととお金を求めていました。

今の私の年には母は2人の子持ちでしたが、きっと今の私の様に穏やかな心持ではなく、どこへ行っても見栄の戦いだったのだと思います。

保育園に通っていたころの私はもうすでに母の自慢の道具で、華美な服を着せられみんなの前でピアノを披露するように言われていました。「うちはよそとは違う、特別な家だ」というのは母の口癖でした。

自慢気な母の態度が保母さんに嫌われていたのでしょう、家では母から叩かれ罵られ、保育園の先生からも辛く当たられる毎日でした。

今あのころの自分を遠くから見つめて本当にかわいそうに思います。

私は誰にほめられたいわけでもなかった。

ただお母さんにだっこしてほしかっただけでした。