いつか、雨はあがる。

虐待でうつ病、パニック障害を発症。自殺未遂、向精神薬・安定剤依存、入院を経て、現在は非正規で働いています。ようやく前向きになれてきました。

ウォーキングをしたりし始めました

ずっと風邪をひいていて、今日も喉が痛いです。

早く一週間終わるといいなあ。

大した仕事量ではないのにとても疲れます。

 

でも今日の仕事も無事に終わりました。

きっとそんなに変でもなく、普通の人の様に過ごせた気がします。

朝に安定剤を飲んだからなのですが。

 

新年度から新しい仕事をしているので、今月でやっと3か月です。

薬を飲むのをかたくなに我慢していたのですが、慣れるまではお薬を飲んでもいいかなと思い始めてきました。

ビタミンBのドリンク剤やビタミンCのサプリメントもお金がかかるからと思って買っていませんでしたが、ちょっとでも体の状態良くなるといいなと思い、安いものを買いました。

 

仕事終わり、何か家にある残り物で夕食を済まそうとあえて買い物もせず帰りました。

肉類も無かったので小麦粉に卵とじゃがいものすりおろしを入れ、長ネギを入れて、たこぬきのたこ焼きを作りました。

タコは入っていないけど、夫も「別に味は悪くないね」と言ってくれ、なかなか安上がりな夕食になりました。

食べ終わってから30分くらいウォーキングに行きました。

最近仕事終わった後、近所をウォーキングしています。

雨でできない時は、家にある踏み踏みする健康器具を3分踏んでいます。

有酸素運動をすると頭が休息モードになる気がするのです。

夜は筋弛緩法をやっています。腹式呼吸も良いですよね。

過敏になった神経が落ち着いて、ゆっくりねむれるといいなと思います。

人に自分を良く見せるための不毛すぎる努力

コメントやスターをいただき、本当にありがとうございました。

職場でも上手くやれず対人恐怖も強くなり、その上唯一の吐き出し口だったカウンセリングにも行きにくくなって、思わず感情的に書きなぐってしまいました。

 

コメント欄で教えていただいた市や県の精神保健福祉相談を一度利用してみようかと考え始めました。

検索しても民間の所しか出てこなかったので、情報を教えていただけて本当に感謝しています。

平日の午後、仕事が無い時が月に1度あるので、その時を利用して相談に行けたらと考えています。

 

ただ、不安もあります。

数年前まで通っていた精神科や心療内科、それに付属するカウンセリングがそうだったのですが、私の症状は非常に軽く見えるらしく、いつも

「あなたは大丈夫だよ!」「考えすぎだよ」「とにかく自分がしっかりすること」

などと言われ、ただただ励まされて終わらされることが多かったのです。

私の気持ちを初めてちゃんと聞いてくれたのが、今かかっているカウンセラーの先生でした。

だから、「自分の苦しみを分かってくれる人がいるだろうか?」という強い不安があります。

 

私は一見、しっかりしているように見えるようなのです。

そして「具合が悪そうだね」とも良く言われます。

しっかりしているように見えるよう、必死の演技をしているからです。

文字通り死にそうなほどの演技です。だから人前に長時間いることができません。

外から帰ったら昼間であってもすぐに着替え、布団に入って寝込んでいます。

それを分かってくれる人は誰もいません。

 

母が私に徹底的に教えたのは、とにかく「魅力的な人物に見えるようにすること」でした。

母は「自分が変に見えないようにすること」、「優れた人に見せること」に、命をかけていたと言っても過言ではありませんでした。

母は近所のスーパーに行くのにもハイヒールを履いていくような人でした。

自己顕示欲の塊のような女でした。

私も母の自慢の娘(装飾品の一つ)として、殴られながら、自分を魅力的に見せるやり方を徹底的に教え込まれたのです。

 

小さいころは怒られるので何もかも母の言う通りにやっていました。

しかし、貧乏なのに服飾品にお金を使う神経が分からないのと、だんだんと具合が悪くなりすぎてしまい、成長するに従い、きちんとした服を着たりすることができなくなって行きました。そんな私を見て母は「だらしない!」「汚らしい!」といつも怒っていました。

今はとにかく楽な服ばかり着て、ほとんど化粧もせず、髪の毛はひっつめでなんとか仕事に行っています。

 

夫が私に初めて会った時の印象を「すごく優秀できちんとした人に見えた」と言います。

「自分なんか相手にされないような完璧な人だろうなと思った」と言うのです。

実際付き合ってみたら、物は忘れるわ事故は起こすわ自殺未遂は繰り返すわで、完璧な人とは程遠い、欠陥だらけの病気人間だったわけで、夫もずいぶんびっくりしたようなのですが、外では私はそのように見えていると言うのです。

夫は「あなたはプライドが高いんだよ」と言いますが、自分ではその真逆だと思っています。自信があまりに無さすぎるがために、仕事をクビになるのを恐れるがために、そういう演技をしているのです。

とにかく、自分でもなんとか外で自然体でいられる努力をしなければなりません。

殺せばよかった

カウンセリングに関して、愚痴を言わせてください・・・。

 

カウンセリングに行ってきましたが、お金が高くて嫌になってしまいました。

場所とシステムが変わり、格安の料金だったのが大幅の値上げ、場所も随分遠くなりました。

初めての場所だったので30分以上前に余裕を持って出発しましたが、分かりにくいところで迷ってしまい、遅れるとの連絡を入れました。

迷って遅れたのはもちろん私がが悪いのですが、結局20分くらいしか話を聞いてもらえず、それなのに高い料金を取られて余計に辛くなりました。

 

今の私にとってはお金はとても大切で、働かないと莫大な奨学金も返していけない。

でも対人恐怖が強くて長時間の仕事ができないので、たくさん稼ぐことができない。

長く人といると頭がおかしくなってきて、恐怖のあまり死にたくなるのです。

なんとかして治したいと、わらにもすがる思いでカウンセリング料金を工面しているのに、どうしてこんなに高いのでしょう?

具体的な解決策を挙げるでもなく、ただ頷いて聞いてくれるだけなのですが、それがそんなに高いお金を払うほどの高度な技術なのでしょうか?

 

他にもっと安いところはないだろうかとネットでいろんなところを探してみましたが、どこもべらぼうに高く、カウンセラーという職業そのものが信用できなくなってきました。

結局、終わってしまった過去のことを忘れられないような人間はどうしようも無い、苦しんで生きろ、無理なら死んでしまえということなのでしょうか。

 

親に虐待されて育ってきたような人間にこそカウンセリングが必要だと思うのに、そんな人間がカウンセリングを頻繁に受けられるような給料を稼げていると思いますか。

貧乏でギャンブル依存連帯保証人になって借金持ちのような親こそが、ストレスから子どもを思うままに虐待します。

そんな親に育てられた子どもが、まっとうに仕事に就いて、高額なカウンセリング料金を払うことができると思いますか。

 

カウンセラーさんも儲からない大変な商売だとは聞いていますが、それにしたって値段が高い。カウンセリングは金持ちだけの治療ですよ。

こんなに苦しいのに、誰も助けになってくれる人はいない。

結局昔も今も同じなんだ。

生まれた家が悪ければ、それはもう自己責任でどうしようもないのだと感じました。

私はきっと前世で何か悪いことをしたのでしょうね。

体調が悪く、昔のことを思い出してしまうたび、あの時どうして母を殺して自分も死ななかったのかと考えることがあります。

私の人生を恐怖でいっぱいにし、めちゃめちゃにした母親が、全く後悔をすることもなく、今現在ものうのうとご飯を食べ、息をして生きているのだと思うと、時々気が狂いそうになります。

殺してやればよかった。

 

疲れた

正直仕事が辛く、辞めたいと思ってしまいました。

辞められるものならやめたい。

でも、どこへ行っても辛いのは変わらないでしょうね。

対人恐怖を治したいです。人が怖いのにたくさんの人のなかで働くのは地獄です。

お金を稼がなくてはという強迫観念にとりつかれています。

奨学金を返さなくては。

夫もいつ体調悪くなるか分からない。

生きていくのはしんどいです。

風邪をひいてしまいました

4月から新しい仕事になり、いろいろ問題のある案件を抱えています。

自分の力が至らないせいかなと思ったりして、誰に何を言われたわけでもないのですが、すごく自分を追い詰める毎日でした。

1カ月くらいずーっと背中と肩が痛くて、夫に言うと「仮面うつ病なんじゃない?」なんて言われていました。

 

今日になり、ものすごく喉が痛くて熱がでてしまって、風邪をひいてしまいました。

風邪薬とドリンク剤を飲んで仕事に行きましたが、あまりにしんどくなってきて、早退してきました。

 

断れない性格で、また自分の都合をどこまで他人に言っていいのかも分からず、いつもストレスがかかっている状態でうまく処理できません。

過度に自分を追い詰め、オーバーワーク気味になる癖もあり、自責的なところがどうしても治りません。

自分を守る方法をまるで知らなくて、うまく自己アピールできないし、またうまく自分を守っている人を見ると、うらやましく思ったり、ずるいと思ったりもしてしまいます。

一体どうしたらいいのかな。

自分は人格形成に大きな問題があると思います。

アサーションを実践したいのですが、自分の欲望と言うのがよく分からないので悩んでいます。

こういう方、他にいらっしゃるでしょうか?

なかなか理解してもらえないし、うまく言葉にするのも難しいです。

支配する人間

今日は仕事が休みです。

週に1回だけの休み。朝からたまりにたまっていた洗濯とか掃除をやって今一息ついています。

 

こうして午前中から動けるようになったのは、私にとってはすごい進歩です。

パキシルという抗鬱剤や、デパスという抗不安薬ユーロジンハルシオンなどの睡眠薬を飲んでいたころは、だるくてだるくて、起き上がることができませんでした。

自分自身の精神状態もものすごく悪く、薬なんかで対処できない程大きなストレス(実母や実兄からのいじめ)が常にあり、主治医は一生けんめい薬で気分を上げよう上げようとしてくれましたが全くムダでした。

 

精神薬での治療と言うのは、そもそもストレッサーとなる要因からしっかり離れた上で、家族や周りの人の理解と支えがあって初めて意味を為すものだと思います。

 

私自身も自分の大きなストレスの原因が家族だと自覚しておらず、ただ自分が悪いのだとずっと思い続けていました。

死にたくなるのも自分が弱くて力がないからだと。

そして、自分はもともと病んだ心を持って生まれてきた人間なんだとずっと思っていました。

夫に支えてもらい、自分で医者やカウンセリングに行くことをしなければ、適切な治療を受けることもありませんでした。

 

周りの人に自分の家族がどんな風に私に接するか話をしたこともあったのですが、「あなたの家族はちょっとおかしい」と指摘してくれた人は誰もいませんでした。

ただ一人の友達をのぞいては。

その友達も、「かな子さんの家族だからもちろん良い人なんだと思うけれど、なんかちょっと変だね」と言っただけでした。

だから実は母や兄の方がおかしくて間違っているのだと気が付くのに、20年以上かかってしまったのです。

 

支配する人間は、被支配者を外の情報から隔離したがります。

友達と遊びに行ったり、新しい趣味を見つけたり、彼氏を作ったり、おしゃれをしたり楽しんだりすることから遠ざけ、自分の目の行き届く範囲に置いて、自分の好きに扱おうとします。

そのくせ、お金は欲しがります。被支配者をよい仕事(社会的地位の高い仕事)に就かせ、その給料はほしがります。

社会的地位の高い仕事に就かせたがるのは他人に自慢したいからです。

自分の見栄を満足させるために、奴隷のように人を使います。

そして徹底的に被支配者に罪悪感を植え付けます。

「お前はわがままだ」「お前はぜいたくだ」「お前には優しい心がない」「お前は醜い」「お前はだめな人間だ」・・・

こういったことを延々と毎日言いつづけられるのです。

 

支配される側は自尊心を粉々にされていきます。

支配する側は、被支配者と良い関係が築けていると思っています。悪いことをしているとすら思っていません。

支配されている側がどんなに辛いか、どんなにみじめな気持で暮らしているか、自殺したがっているとか考えもしません。

鬱になって病気になると「日ごろの体調管理ができていない」とか「精神力が弱いからだ」「根性が無い」などと言って相手を責め、自殺の後押しをします。

自分に原因があるとはつゆほども思っていないのです。

支配する人間は、自我ばかりが異常に肥大化し相手の気持ちを推し量る能力が大きく欠けている人間です。

 

こういう人間は珍しくなく、すぐそばで生活しています。

一見普通の人に見えますが、実は自分のことしか考えられない恐ろしい人間です。

私は自分の親兄弟のような人間とは一生かかわりたくありません。

警戒心を強くして生きています。

自分を守るのは自分しかいない

「自分を守るのは自分しかいない」

こんな当たり前のことが最近まで分かりませんでした。

 

今まで人のため、家族のためにどれだけの労力とお金を使ってしまっただろう・・・

メンタルが壊れて鬱状態になるまで、いろんなものを人にあげてしまいました。

後悔してもしきれない。

親に愛されない分、他人に認めてもらいたくて過剰に親切にしていたけれど、やればやるほど自分がどんどん疲れて行きました。

やがて人に会いたくなくなり、外に出ることもできなくなり、こっちが勝手にやっていることなのに、相手にも見返りを求めるようになりました。

そうして、そういう対人関係にひとりで勝手に疲れてフェードアウト。

 

相手の人からしたら、一体何がなんだか分からなかったでしょう。

勝手に親切にして、勝手に疎遠になって、今はもう連絡すら取っていない人が何人かいます。

他人との適切な距離が全然分からなかったんですね。

赤の他人に、家族の愛情を求めていました。

自分が満たされないから、他人に対して色々求めていたのだと、20代を振り返って思います。

もっと普通に接していればなあと、夜思い出して後悔することがある。

自分が疲れない程度に、適度な距離で他人とかかわることができていたら。

今も続いて、ずっと仲良くしてくれるような友達がいたのかもしれない。

 

自分を疲れないようにさせ、自分が傷つかないようにできるのは、実は自分しかいない。

どんなに近しい関係の人にも、自分の好みや欲求、全てを知ってもらうのは無理です。

自分は一体何が嫌なのか、何に傷つくのか、何に疲れるのかを知っているのは自分しかいない。

だから、「自分はこれはやりたくない」「自分はそれをやると疲れる」ってことを、ちゃんと言葉なり態度なりに表現して、相手に伝えないといけないんだってことが最近になって分かりました。

「そんなこと当たり前じゃないか」と笑われるかもしれない。

こういう感覚は長年虐待を受けてきた人でないと分からないのかもしれないですね・・・。

 

小さいころから、自分の意見や意志が通ったり聞いてもらえたりすることなど皆無だったので、自分はひたすら他人に合わせて我慢しないといけないんだと思い込んでました。

本当に完璧に思い込んでいるのです。そしてそれが美徳だとも思わされている。

それで、こんな風に30も過ぎて、当たり前のことに気がついてびっくりしているのです。

 

虐待を受けている子どもは、「自分の意見を言うことは悪いことだ」、「自分の都合を言うなんて大変わがままなことだ」と暴力を伴いながらひたすら教え込まれて来ています。

私もそうでした。

だから、今、仕事をしていてこちらの都合を相手に言わないといけないような時も、毎回とても怖いし、非常に大きな罪悪感を感じてしまいます。

 

相手は、最初は私を控えめな人だと思っていたり…、しかしそれも度を越すと「なんでも人に譲る、自分の意見の無い変わった人」「やる気のない人」「居ても居なくても変わらない人」といった認識になってしまい、対等な扱いを受けなくなる気がしています。

どうやって自尊心を取り戻せばいいのか?

少しずつ、少しずつとカウンセラーさんは言っていました。

 

生きにくさはまだまだすごくありますが、でも前ほどじゃない気がします。

まだ怖いけれど、少しずつ前に進めているのかもしれません。