リストカットをしなくなった時ー認識しないストレスの怖さ
JUGEMテーマ:ウツ・キレる・情緒不安定・イライラ・不眠・うつ病・人格障害・不眠症・虐待・過食症・拒食症・依存症
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仕事が忙しくなってしまい、間が空いてしまいました。
職場でも人と話すのは苦手で苦しいですが、忙しくしていると余計なことを考えないですむので助かります。
しかし、会議なんかで自分の意見を求められるのは非常に辛いです。
私には何かを「こうしたい」という強い意志がありません。
小さいころからずっと、父母、兄のやりたいこと、したいことを優先して、全て譲って生きてきました。
だからあきらめるのがすごく得意です。
仕事をし始めてびっくりしたこと・・・、というか、不思議に思ったこと、それは、同僚がみんな職場の愚痴を言うことでした。
「上司の○○が嫌だ」「同僚の○○とは仕事がやりづらい」「休日出勤がいやだ」「サービス残業がいやだ」・・・どこの職場でも当たり前にある愚痴だと思います。
そういうことを誰かが言う時、私も同調して「そうですよね」とは相槌を打つのですが、本当のところ、それらのことを嫌だと思ったことが一度も無いのです。
もちろん、あまりにうつ症状が酷くて、日々も出勤もままならないような時は、「職場に行きたくないな、休みたいな」と思います。でもそれは自分が悪いのであって、職場のせいではありません。
もし、上司の○○からの当たりが強かったとすれば、それは自分が至らなかったからですし、同僚の○○との仕事がやりにくかったとすれば、自分のやり方に問題があると考えるわけです。
だから、私は職場の人にどのようにされても、例え無理な仕事の割り振りをされたり、嫌な対応をされたりしたとしても、なんにも嫌だとも思いません。
むしろ「自分のような人間に、そういうことをされるのは当たり前だ」と思ってしまうために、愚痴が出てこないのです。
小さいころからずっと我慢をすることが当たり前でしたので、少々の辛い仕打ちには、いい意味では打たれ強い、しかし、我慢をし続けるので慢性的にうつっぽい、そんな風になってしまったように思います。
先日、ウィキペディアを見ていて、「リストカット」という項目に行きつきました。
リストカットと幼少期の虐待には深い関係がある、とそこには書いてありました。
実は私も、20代の前半~後半の数年間、手首をカミソリやメスなどで切っていました。
死のうと思ってやっていたわけではありません。手首を切って死ぬなんて無理だということくらいは分かっていました。
ただ、時々どうしようもなく心が辛くなって、逃げるためにハルシオン(睡眠薬)や安定剤を飲んで、薬の効き目が出てくる前に、どうしても苦しさに耐えきれずに切るのです。
現実を忘れるため、と言ったらいいのか、逃れるためと言ったらいいのか、わかりませんが・・・
今ではその時のことは夢の中の出来事のようです。
当時は何がなんだかわからないままに、とにかく苦しくてどうしようもなくて、その原因も分からなくて、手首を切っていました。
しかし、切っても夜は明けて、次の日がやってきます。
傷跡を人に見られるわけにいかないので、悟られないように幅の広めの腕時計をしたり、長袖の服を着て隠していました。
リストカットのことを知っているのは今の夫と、当時相談に乗ってもらっていた精神科ナースの友達だけです。
今もその傷跡が手首に残っています。
リストカットが無くなったのは、精神科の閉鎖に入院した後のことです。
今考えるに、あのあたりから「親がおかしい」ということを、だんだん自覚し始めたように思います。
私が入院すると聞いても親は全く何もせず、無視を決め込み、今の主人が(結婚前でしたが)入院の手続きや身の回りのことなど全てやってくれました。
入院のお金ももちろん、自分で払ったわけなのですが、当時うちの親から主人に対して、入院費を立て替えろ(要は借金ですね)という話があったと後から聞いて、あきれ返りました。
私が入院するような事態になってなお、私に対して何をしてくれるわけでもない。
私の仕事がうまく行って、給料がもらえている時にはお金を貸せとたかってくる。
それまで、「自分は頼りにされ、愛されているのだ」と勘違いをしていた私は、「この人たちにとって私は一体なんなんだろう」と考え始めるようになりました。
そして、私が拒食症になったり、胃腸炎になったり、風邪をひいたりするのは、いつもいつも必ず、親が私にかかわってきた時だと気が付くようになりました。
そのことに気付いてから、やめられなかったリストカットは不思議とぱったりしなくなりました。
そして、自ら親と距離を置くようになりました。
このことは当時は気が付いていません。今、ブログを書くにあたってなぜリストカットを辞められたのか思い出してみると、そういえば、という感じです。
とにかく「認識できていないストレス」というのがすごく怖い、非常にまずいことだということは、ブログを読む人には知っておいて欲しいと思います。
何か自傷行為的なものが出ていたら、必ずストレスの原因になるものがあります。
そして、それを本人も認識できておらず、言語化できないために、自分を痛めつける行為で発散しているのではないでしょうか。
上手なカウンセリングにかかっていたりしたら、すぐに原因が分かったのかもしれませんが、当時の私にはカウンセリングにかかる機会もなく、ただ一人でまっくらのトンネルを歩いているような感じでした。
行きつく先は死ぬことしかなく、私の頭の中にはいつでも自分の最期のイメージがありました。
自分が首を吊って死んでいるイメージです。
今でもそのイメージは取れませんが、徐々に無くしていけたらと思っています。
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仕事が忙しくなってしまい、間が空いてしまいました。
職場でも人と話すのは苦手で苦しいですが、忙しくしていると余計なことを考えないですむので助かります。
しかし、会議なんかで自分の意見を求められるのは非常に辛いです。
私には何かを「こうしたい」という強い意志がありません。
小さいころからずっと、父母、兄のやりたいこと、したいことを優先して、全て譲って生きてきました。
だからあきらめるのがすごく得意です。
仕事をし始めてびっくりしたこと・・・、というか、不思議に思ったこと、それは、同僚がみんな職場の愚痴を言うことでした。
「上司の○○が嫌だ」「同僚の○○とは仕事がやりづらい」「休日出勤がいやだ」「サービス残業がいやだ」・・・どこの職場でも当たり前にある愚痴だと思います。
そういうことを誰かが言う時、私も同調して「そうですよね」とは相槌を打つのですが、本当のところ、それらのことを嫌だと思ったことが一度も無いのです。
もちろん、あまりにうつ症状が酷くて、日々も出勤もままならないような時は、「職場に行きたくないな、休みたいな」と思います。でもそれは自分が悪いのであって、職場のせいではありません。
もし、上司の○○からの当たりが強かったとすれば、それは自分が至らなかったからですし、同僚の○○との仕事がやりにくかったとすれば、自分のやり方に問題があると考えるわけです。
だから、私は職場の人にどのようにされても、例え無理な仕事の割り振りをされたり、嫌な対応をされたりしたとしても、なんにも嫌だとも思いません。
むしろ「自分のような人間に、そういうことをされるのは当たり前だ」と思ってしまうために、愚痴が出てこないのです。
小さいころからずっと我慢をすることが当たり前でしたので、少々の辛い仕打ちには、いい意味では打たれ強い、しかし、我慢をし続けるので慢性的にうつっぽい、そんな風になってしまったように思います。
先日、ウィキペディアを見ていて、「リストカット」という項目に行きつきました。
リストカットと幼少期の虐待には深い関係がある、とそこには書いてありました。
実は私も、20代の前半~後半の数年間、手首をカミソリやメスなどで切っていました。
死のうと思ってやっていたわけではありません。手首を切って死ぬなんて無理だということくらいは分かっていました。
ただ、時々どうしようもなく心が辛くなって、逃げるためにハルシオン(睡眠薬)や安定剤を飲んで、薬の効き目が出てくる前に、どうしても苦しさに耐えきれずに切るのです。
現実を忘れるため、と言ったらいいのか、逃れるためと言ったらいいのか、わかりませんが・・・
今ではその時のことは夢の中の出来事のようです。
当時は何がなんだかわからないままに、とにかく苦しくてどうしようもなくて、その原因も分からなくて、手首を切っていました。
しかし、切っても夜は明けて、次の日がやってきます。
傷跡を人に見られるわけにいかないので、悟られないように幅の広めの腕時計をしたり、長袖の服を着て隠していました。
リストカットのことを知っているのは今の夫と、当時相談に乗ってもらっていた精神科ナースの友達だけです。
今もその傷跡が手首に残っています。
リストカットが無くなったのは、精神科の閉鎖に入院した後のことです。
今考えるに、あのあたりから「親がおかしい」ということを、だんだん自覚し始めたように思います。
私が入院すると聞いても親は全く何もせず、無視を決め込み、今の主人が(結婚前でしたが)入院の手続きや身の回りのことなど全てやってくれました。
入院のお金ももちろん、自分で払ったわけなのですが、当時うちの親から主人に対して、入院費を立て替えろ(要は借金ですね)という話があったと後から聞いて、あきれ返りました。
私が入院するような事態になってなお、私に対して何をしてくれるわけでもない。
私の仕事がうまく行って、給料がもらえている時にはお金を貸せとたかってくる。
それまで、「自分は頼りにされ、愛されているのだ」と勘違いをしていた私は、「この人たちにとって私は一体なんなんだろう」と考え始めるようになりました。
そして、私が拒食症になったり、胃腸炎になったり、風邪をひいたりするのは、いつもいつも必ず、親が私にかかわってきた時だと気が付くようになりました。
そのことに気付いてから、やめられなかったリストカットは不思議とぱったりしなくなりました。
そして、自ら親と距離を置くようになりました。
このことは当時は気が付いていません。今、ブログを書くにあたってなぜリストカットを辞められたのか思い出してみると、そういえば、という感じです。
とにかく「認識できていないストレス」というのがすごく怖い、非常にまずいことだということは、ブログを読む人には知っておいて欲しいと思います。
何か自傷行為的なものが出ていたら、必ずストレスの原因になるものがあります。
そして、それを本人も認識できておらず、言語化できないために、自分を痛めつける行為で発散しているのではないでしょうか。
上手なカウンセリングにかかっていたりしたら、すぐに原因が分かったのかもしれませんが、当時の私にはカウンセリングにかかる機会もなく、ただ一人でまっくらのトンネルを歩いているような感じでした。
行きつく先は死ぬことしかなく、私の頭の中にはいつでも自分の最期のイメージがありました。
自分が首を吊って死んでいるイメージです。
今でもそのイメージは取れませんが、徐々に無くしていけたらと思っています。