いつか、雨はあがる。

虐待でうつ病、パニック障害を発症。自殺未遂、向精神薬・安定剤依存、入院を経て、現在は非正規で働いています。ようやく前向きになれてきました。

生きづらい―労働のあり方

仕事を辞めたいなあと思って、転職サイトを見ていました。

 

今の職場は職種が職種なので(詳しいことは書けませんが…)、とっても元気で自信があり、堂々としている方が多い職場です。

みなさん、声が大きい。体も大きい。背筋ものびている。

 

私はと言うと・・・

どんなに張り上げても声が細い、通らない。

大きな声で長く話すと、話した後はあはあしてしまう(汗)

体も人一倍小さい。背も低い。

人が怖いのでとても猫背・・・

と、とても適職とは思えない感じです。

 

それでも契約の非常勤職なので、パートのようなゆるい感じでやらせてもらっていて、なんとかなっています。

こんな私でも正社員で働けるようなところってないのかな?と色々探していましたが…そんなところは無さそうでした。

この業界以外でも正社員は拘束時間がとても長いみたいで、体の弱い人間が働けるような感じではありません。

 

やはり少ないお給料で、少しずつやっていくしかないのだろうなと思いました。

フルで働けないので、正直奨学金の返済がものすごくきついのですが、なんとか生きる道を探して行かなければと思っています。

 

大人になるまでは、正社員として仕事をすることがこれほどまでにプライベートを犠牲にしなければならないものだとは思っていませんでした。

職場の正社員の男性たちは、みな顔色悪く、冷や汗をかきながら仕事をしています。

家族も居て必死なのだろうと思う。

けれど、そんな感じで気が付けば何十年と経っていて、途中で過労で死んでしまったりすることも結構あったりして、それでも上はもっと、もっと働けと仕事を増やしてくる。

やらなければ干されてしまうような気がする。

熱心に働いて無いように見られる気がする。

一体、日本ってどういう国なんだろうなって思ってしまいます。

生きづらい世の中ですね。

少しずつでもたくましくなりたい

ブログはほとんど更新していないですが、メールフォームから少しずつメールいただいたりしています。

ありがとうございます。

年が明けたら少し仕事が落ち着くかもしれません。

 

最近の体調などは・・・

時々体がすごくだるかったり、仕事を休みたいぐらいやる気が全く出なかったりするのに苦しんでいます。

まだ少し鬱の後遺症がある感じです。

もしかしたら一生こんな感じなのかもですが。

 

あとは相変わらず、他人と上手く話せないでいます。

向こうから話しかけてきてくれたことには受け答えますが、こちらからは絶対に行けません。

この傾向は実は学生時代からあったことを思い出しました。

中学生のころから、自分から人に話しかけたことがありません。

でも、不思議と向こうから話しかけてくれる人が居て、今までなんとかやってきました。

誰かと二人きりになった時など、話さないとどうしても感じが悪い時には、こちらから世間話をするようにしていますが、最近はそういう努力もしんどくなって、黙っている時もあります。

 

でもまあ、変な人だと思われていても、クビにならなければいいかなと思っています。(もしかしたらクビになるかもしれませんが…その時はその時)

 

楽しそうにお話しされている同僚を見るとむなしくなる時もありますが、「自分は自分」で、どこかに居場所を見出せる日が来たらいいなと思う。

 

親のことは結構よく思い出しますが、向こうからは連絡が無いのでほっとしています。

未だに、また連絡を取ったらどうなるだろう?と考えるけれど、想像しただけで、体が嫌だ、もう関わりたくないと拒否反応を示します。

どう考えてみても心が許す気になれなくて、その気持ちに正直に行動していればいいと思ったりしています。

 

夫のことですが、最近夫も「自分の親は毒親なんじゃないか」と自覚し始めてきました。

嫁の私が傍から見ていても変な感じなのですが、義父は不思議な人で異常なまでの負けず嫌い。

夫に負けたくないために夫が成功することを喜ばない人です。

夫の仕事がうまくいきそうになると邪魔をしてくることがあるくらい。

最近、夫は義父の存在を疎ましく感じているようです。

 

夫には、出会ったころから自分と似たような憂いがあることを感じていました。

夫の母も、母性の薄いような人でした。

結局夫とは、あまり親に大事にしてもらえなかった悲しみが共通しているのかなと思います。

 

しかし、そんなことを言っていてもどうにもならない。

泣き言も言わずたくましく頑張っている夫を見習わなければと思います。

 

世の中には自分以上に恵まれない子供時代を過ごした人がたくさんいるわけで、それでもみんな懸命に生きているのだから、自分もたくましくならねばならない。

たくましくなるというのは、少し図々しくなること。

自分を守ることに罪悪感を持たないこと。

 

他人に迷惑をかけるというのは違うけれど、迷惑をかけない範囲で逃げること。

自分一人で背負いこまないこと。

 

これが大切だと思っています。

そうしながらも、誰かに少しだけ、愛情を分けてあげられるといいなと思うけれど・・・

自分のことでまだまだ精いっぱいな私です。

自傷行為について―自殺予防週間

久しぶりにブログを更新します。

読んでくださっている方、お元気でしょうか。

 

今日は仕事が久々に早く終わりました。

ちょっとミスをやらかしたり、いろいろとうまくできない所もありますが、なんとかやっています。

ブログをしばらく休むと報告しました時、メールをくださった方、コメントを書いて励ましてくださった方、本当にありがとうございます。

少しずついただいた善意のあたたかい言葉は全部、私の勇気になっています。

普通の人からしたら何でもない簡単な仕事で、お給料も本当に微々たるものなのですが、私は普通の人間になれるように、そして心の弱さに溺れないように、毎日必死でくらいついています。

 

ブログを久々に更新したのは、NHKのハートネットTVを見たからです。

9月は自殺予防週間ということで、「20代の自殺」の特集をやっています。

昨日は「自傷行為」についてでした。


ハートネットTV:20代の自殺 - NHK福祉ポータル ハートネット


ハートネットTV:2014年9月11日の放送 - NHK福祉ポータル ハートネット

 

私自身、20代のころ自殺したい気持ちと戦う毎日でした。

どうにか今まで生きてこれたのは、薬を大量に飲んだり手をカミソリで切ったりという自傷行為を続けてきたせいかもしれません。

 

ハートネットTVでインタビューに答えていた方の境遇がなんとなく自分に似ており、気持ちが痛いほどよく分かり、ブログを書こうと思いました。

 

よく「構ってほしいから切るんだろう」という意見を聞きます。

そういう人も中にはいるのかもしれませんね。

ただそういった理由で切っているわけでは無い者もいると思います。

私自身がどういう時に切っていたかというと、心が嫌な悲しい感情で埋め尽くされている時、切る以外に感情の処理ができず本当にどうしようも無くてやっていました。

切る時はもちろんいつも一人の時でしたし、切ってしまってからも誰にも言いませんでした。

外では傷跡は見えないよう、夏でもいつも長袖を着て隠していました。

外で誰かにばれたことはありません。

 

今の夫や唯一生い立ちを話してある親友には相談をしたことがありますが、相談をするのも嵐が過ぎ去ってから、切ってしばらく経ってから「実は・・・」と打ち明けて相談していました。

誰かに見てほしくてやっていたわけではなく、そうすることで本当の自殺を防いでいた?というか、自分でも良く分からないのですが、行きどころのない怒りを発散していたのだと思います。

前に記事にも書きましたが、自傷行為をしてしまう理由はストレスの原因に気が付いていないことなんじゃないかと考えています。


リストカットをしなくなった時ー認識しないストレスの怖さ - いつか、雨はあがる。

 

上のリンク記事にも書きましたが、私がリストカットを辞めることができたきっかけは「私は母が原因でこんなに苦しいのではないか?」と悟ったことだった気がするのです。

もちろんそれまでもずっと「母がおかしいような気がする」とは思っていたのです。

いつも自分に嫌がらせばかりしてくる。

母は自分を愛していないような気がする・・・と。

殴られたり蹴られたり散々酷いことをされてきて、それでも母を信じていたのがびっくりですし、そんなにされてもどうしてまだ「愛されているはずだ」なんて思うのか・・・なかなか理解されないと思います。

ですが、私には母のサンプルは母一人しかいなかったので誰と比べようも無く、行動範囲や友達と話す内容なども非常に厳しく規制されていましたので、母がおかしいとなかなか分からなかったのです。

 

でもなぜか苦しい。

やっぱり母がおかしいんじゃないか?

 

そういう葛藤を何度も何度もやって、やっと

「母は実は自分のことしか考えていない人だ」

「私に危害を加えてきているんだ」

と気づいた。

その時、どこへぶつけたらいいか分からずどうしようもなくて自分に向けられていた怒りは、徐々に母に向かって行きました。

そこからぴったりと自傷行為が止みました。

向精神薬睡眠薬をたくさん飲むことも無くなりました。

ずっと悩んでいた自傷行為が治ったのです。

今では「また切ってみよう」なんてことは全く思いません。

そんな痛いことなんでしていたのか。もう絶対に嫌だとすら思います。

 

いろんなパターンがあると思いますが、自傷行為を繰り返し行っている人の中には、「自分が何にストレスを感じているのか、自分でも気付けていない人がいる」

もしくは

「何にストレスを感じているのかさえ、気づけないように巧妙に洗脳されている人がいる」

ということを、どうかみなさんに知っていてほしいです。

 

本当の暴力、虐待というのは、相手を憎んだり怖がったりする自由さえ奪われるのです。

暴力を振るってくる相手に対して「優しいと思え」、「ありがたいと思え」、「感謝しろ」、「お前の方がおかしい」と、強い強い暗示をかけられているのです。

これは本当に怖いことだし、当事者が気づかない限り他人もなかなか助けようが無いです。

そのまま気づかれずに自殺するケースはたくさんあると思います。

 

自分が「怖い」「辛い」と感じるなら、そのまま感じていていいんです。

自分の感覚をどうか信じてください。怖いなら逃げてください。

女性のためのDV相談室 by NPO法人 全国女性シェルターネット
「DV相談ナビ」について | 内閣府男女共同参画局
チャイルドライン
一般社団法人STOP!ABUSE - 一般社団法人STOP!ABUSE

 

私は母に、自分の感情をすべて否定されて育ってきました。

「おもしろいな」と思っても「今のおもしろくなかったよね?そうでしょ?そうだよね?あんなのおもしろいと思う人は気持ち悪い人だから」

「怖い」と思っても「何が怖いのか、怖いと思うお前の方がおかしい、気持ち悪い」と、何から何までそういう言い方をされてきました。

泣くことも許されませんでした。

小さいころの自分を思うと、本当にかわいそうで怒りがこみ上げます。

長い時間をかけてゆっくりと、心を根っこからズタズタにされました。

 

だから今でも、自分が何が楽しくて何が苦しいか分からなくなる時が良くあります。

見るもの全てにフィルターがかかっているような感じで、なんとなく現実感が無いのです。

でもずっと母と離れていればいつか時が解決してくれるんじゃないかって思っています。

現に昔よりはずっと自分らしい感情を取り戻してきたように思うのです。

 

今でも時々死にたくなります。

もしかしたらこういう気持ちは一生治らないのかもしれないけど、残りの人生は自分を大事にしてもう一度やりなおそうって思っています。

 

長文を読んでくださってありがとうございました。

 

私の手の傷の一部写真です。

傷跡はもちろん塞がっていますしもう何年も切ったりしていないので、色もほとんど目立たなくなりました。

怖い写真ではないはずです。

今は腕時計をすれば分からないので半袖でも外に出ています。

元々それ程ひどく切っていたわけでもありません。ハートネットTVで自傷行為を治した女性の方と似ています。

が、もちろん不快に思う方もいると思いますので下の方に貼っておきます。

嫌な方は見ないでください。

 

 

 

 

 

 

 

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ブログ休止のお知らせ

ブログを更新できず、1か月以上経ってしまいました。

御心配くださった方、本当にありがとうございます。

慣れない仕事で苦しんでいますし、気分の波もありますが、なんとか日々暮らしています。

 

なかなか更新できなくなってしまったので、ブログはしばらくお休みいたします。

また落ち着いたら再開するつもりです。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

しんどい時、ずっとこのブログに辛いことを吐き出しながらやってきました。

今、ありがたいことに新しい仕事を任せてもらえることになりました。

お給料も上がるわけでは無いし、ほんとにちょっとした仕事ですが、私にとってはおおごとです・・・。

実は夫も新しい仕事を始め、その手伝いも必要です。

今少しふんばりどころだと思うので、人が怖いですが、がんばってやってみようと思います。

心が壊れない程度に、少しの間普通の人の演技をしてみます。

ふんばりどころが終わったら、またひっそりとひきこもりに戻るつもりです。

しんどくなるのは分かっているので・・・。

一人でこもっているのがいちばん楽なのです。

 

実はまた実家の悪い噂が耳に入り、少し怖い気持ちになっています。

責任を感じ、収拾をつけに帰ろうかと逡巡しましたが、いややはり戻ってはいけない、このまま関係を断ったままでいなければと自分に言い聞かせています。

 

メールフォームはそのままにしておきますので、管理人かな子に話したい事などあったらメールください。

ただ、メールもずっとチェックできてない時もあってお返事がかなり遅れる場合があります。申し訳ありません。

遅くなっても必ずお返事はしていますのでどうか気長にお待ちください。

読んでくださっている方、本当にありがとうございます。

かな子

大丈夫と言い聞かせて

このブログにはいつも「しんどい」ということを漏らしていますが、こんなブログに果たして意味があるのかしらとも思っています。

なかなか希望のある明るいことが書けなくてすみません。

 

今日も職場でとっても疲れてしまいました。

職場ではもちろんプライベートなことや、対人恐怖気味であることなど何も言っていないので、なんにもしゃべらない私は多分おかしな変な人だと思われています。

誰とも話したくなくて早めに仕事から帰っているのですが、やる気が無い人みたいです。

明日は遅くまで残ろうかなと思っているのですが。

 

でもきっと堂々としておけばいいのですよね。

こうやって書くことで認知の歪みを治したりできるといいなと思います。

暑くなってきたので体もちょっとだるいです。

元気になりたいなあ。

 

ペイフォワードと「心病む母が遺してくれたもの」

今日は仕事が休みでほっとしています。

昨日は安定剤を飲みました。

仕事をしている途中で自分が悪いことをしている(人に変な印象を与えている、失礼なことをしている)のではないか?という思いが強くなってきて、怖くなり、罪悪感がすごく出てきました。

 

ある方に私がやるべき仕事をやってもらったのですが、それに対してお礼をしなければ・・・と思い、でもうまくお礼を言うことができず、お礼のつもりが仕事ができなかったことの言い訳みたいになってしまい、とても苦しかったのです。

とにかく相手の方に申し訳ないという気持ちでいっぱいになり「死にたい」と思ってしまいました。安定剤を飲んで人とほとんど話さず帰宅しました。

夜は2時くらいまで起きていて、心がざわついていました。

 

今まで人とのかかわりを楽しいと思ったことが一度もありません。

他人に対する信頼感というのは、人間が生まれてすぐの母親との関係で培われるのだそうです。

そもそも自分には母親との間に信頼関係がありませんでした。

母親は自分に危害を与える存在でしたから、とにかく母親から隠れようというのが、自分が小さい時いつも思っていたことでした。いつもいつも物置に隠れて、その物置だけが安心できる居場所でした。3歳くらいの記憶です。

時に探し出されて「なんでこんなところにいるんだ?!」と引っ張り出されたりしていましたが、見つからないようにいつも息をひそめて隠れていました。

そのことを思いだして、昔から自分は一人が一番楽だったと改めて思います。

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金曜日の夜にやっている「家族狩り」というドラマを見ました。

天童荒太さんの原作のドラマです。虐待や家族問題に関する話のようです。

きっと病んだ人間、病んだ家族と言うのはこの世界に当たり前のようにあるのでしょうね。

人は抑圧されると(ストレスがかかると)、それを自分より下の人間にやらないでは済まないのでしょうか。

「ペイフォワード」という、人から受けた厚意を別の人に渡していく映画がありました。機能不全家庭で育った少年が善意を他人に渡す行為をしていく話です。

この「ペイフォワード」(次に渡せ)の思想を、厚意でなく悪意の譲渡に使っている人がなんて多いことか。

「恩は遠くから返せ」という言葉を大聖寺暁仙という人が言ったらしいですが、厚意はA→B→C→D→ といくら波及して行ってもいいでしょう。

でも、悪意はA→B→C→ となっていってはいけないと思うのです。

やられたらやられた人に返す、A→BならB→A、「ペイフォワード」ではなく「ペイバック」しなければ。

私の母は誰かから少しずつもらってきた悪意?を自分の中で勝手に熟成させ、憎しみに換え、生まれてきたばかりの私にペイフォワードしてくれちゃったんだろうなと思います。

そうして、母は徹底的に私をいじめ、こんな風に生きるのが苦しい人間を一人作り上げました。 

悪意を悪意と感じない人もまずいでしょうね。産まれてから親に悪意ばかり与えられていると悪意を愛情と錯覚し、大人になっても不幸を引きずるパターンがあります。

自分もそうだったのでよく分かるのですが。

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メールをくださる方からおすすめされて「心病む母が遺してくれたもの」という本を読みました。

統合失調症の母親を持つ壮絶な生い立ちの女医さんの話です。自殺未遂を何度も繰り返しながら心を閉ざして働き続けたそうなのですが、自分の20代の苦しみとかぶり痛いほど気持ちが分かりました。

どこにもすがるものが無いさみしさ、怖さ、わらにもすがりたさ…でも誰も愛してくれない。ずっとそばには居てくれない。

しかし、冷たく閉ざされていた筆者の心も様々な経験を経てほぐれていき、今は「穏やかな顔つきになったね」と人から言われているそうです。

死を望み続けるほど苦しい思いをして生きてきて、それでもやり直す気があればちゃんと救いもあると教えてくれる本でした。