いつか、雨はあがる。

虐待でうつ病、パニック障害を発症。自殺未遂、向精神薬・安定剤依存、入院を経て、現在は非正規で働いています。ようやく前向きになれてきました。

自分が不快に感じるものを捨てよう

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今日は仕事が休みでした。
恥ずかしい話、体調が悪くなってからずっと掃除をしていなくて。
部屋が汚いばかりでなく、すっかり暑くなったのに、春物と夏物の衣類整理もできてなかったのでやりました。
えらい!と自分で自分をほめてみようと思います。

最近、教えてもらったおもしろ動画を見たり、寝るときに川のせせらぎの環境音を聞いたりしているせいか、昨晩は久々にぐっすり眠れました。

私が具合が悪い間は、主人にもずいぶん迷惑をかけてしまいました。
主人も体調が良くなく、仕事もなんとか行っている感じです。
とにかく食べるものは食べさせないといけないのに、気が付くと主人も4キロくらい痩せていました。
ホントに・・・夫婦で何をやっているのでしょう・・・。

主人の不調も、きっかけは母の暴言電話でしたが、この電話で主人にも母の異常さが伝わったし、私もカウンセリング治療を決意したし、必要なステップだったと思うことにします。

今日は主人がこんこんとお昼寝する中、夏用の寝具を洗ったり、未開封の郵便物を開けて捨てたり、ついでに今まで捨てるに捨てられなかった母の選んだ服も捨てて、ずいぶんすっきりです。
部屋が二部屋しかないので、片方を片づけるときは片方に寝ていてもらい、もう一部屋を片付けるときは別の部屋に寝てもらい・・・という風に掃除しました。
しかし良く寝るな、夫・・・。


落ち着いて生活して、なるべくこの部屋を保ちたいですが・・・仕事が忙しくなったりすると分からないですね(汗)

ゴミ袋2袋分のゴミが出てしまいました。
リサイクルに売ろうかと思っていたものもありましたが、実家関連で気持ちが悪いと感じるものは、もう思い切って捨てました。
見るたびに嫌なことを思い出すのはこりごりです。

少しずつ忘れていけたらと思います。


あたたかい言葉、優しい人々に癒されて

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記事を書くのが心の癒しになっています。
母から電話があってから、嵐のような日々が過ぎ去りました。
ご飯はだいぶ食べられるようになりました。
安定剤は飲んでいますが、まだちょっと情緒不安定で、朝と夜に急に苦しくなって泣いたりしています。
でも、泣くのはきっといいデトックスですよね。

特に起きぬけには、昔のことをぶわーっと思い出してしまって、ものすごく嫌な気分になりますが、声を殺して泣いていると、主人が来て背中をさすって、タオルをくれます。

今、派遣社員として働いているのですが、兼業が可能な職場です。
それで、もう一つお仕事の話があって、多分週1回で、お給料もほんとに微々たるものなんですが、もしこんな私でお役に立てるのであれば、お受けしてみようかなと思っています。
もしこれから継続してカウンセリングにかかれたら、カウンセリング代くらいにはなるでしょうか・・・。

どうにか夏休みも取れそうな感じなので、夏には主人と2人で、どこか安い旅行にでも行こうかなんて話しています。

肉親には、かなりはっきりと「もう連絡してこないでくれ」と伝えましたし、住んでいる場所は飛行機の距離に離れています。
着信も拒否してあるので今後何もないとは思いますが、まだ心の中に恐怖があります。

母は最近毎日夢の中に出てきて、夢の中で主人と私の生活に干渉し、いやがらせをしてきます。
それで寝起きはとっても具合が悪いのです。
母を助けられなかった、幸せにしてあげられなかったという罪悪感がある反面、お願いだからどうかこのまま死んで、そして地獄に落ちてほしいという思いもあります。

どんな風に気持ちの整理をつけたらいいか分かりませんが、とにかく今は、自分の生活を大事にして、自分を良くしていくことを考えたいと思います。

支えてくれる方が不思議といっぱいいます。
このブログを通じて私の過去を知り、ご自身の辛い体験に寄せて、あたたかい励ましのメールをくださる方もいます。

また、過去を知らずとも、引退された元職場の女性や、友達のマッサージやさんのお姉さん、副業でお世話になっていたお客さん、いろんな人が気にかけてくださいます。

お金も無く、仕事もフラフラでなんとか行っているような私にやさしくしたって、何の得も無いように思うのですが、優しい女性が世の中にはいるものです。

私は母にやさしい言葉をかけてもらったことが無い代わりに、母以外の女性からたくさんの優しさをもらいました。

私は、実際の知り合いには誰にも、深い内容を打ち明けてはいません。(一部を知っている幼馴染はいます)
ですが、今まで仕事などでかかわった方がくれた
「派遣社員でいいじゃないか、あなたは体が弱いのだから、体を健康にすることを一番に考えてゆっくりやっていきなさい。焦ってはダメ」とか
「毎日ヨガを5分でも10分でもいいからやるって約束して。それからご飯もちゃんと食べるって約束して。」とか
「本当にお世話になったから、今も感謝していますよ。」とか
そんなあたたかい言葉が、私の心の中にともし火のようにあって、私が私であることを支えています。

別に親を幸せにできなくたっていいじゃないか。
親以外の、血のつながらない誰かを幸せにする人生だっていいじゃないか。
そう思おうとしています。
遠くの親戚より近くの他人と言いますしね。
そう考えると、婚家に今後何か実害がない限りは、不安になったりおびえたりせずに堂々としていようと思いました。



初回カウンセリングに行ってきました。

 
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カウンセリングを受けてきました。
私が今回カウンセリングを受けてきた相談室は、大学の研究室で、研究のサンプルになる代わりに値段が安いところです。
今後も見ていただけるかどうかは、審査があって、それに通らなければいけないのですが、わらにもすがる思いで行ってきました。

カウンセリングは保険適用外なので、まともに行くと1時間6千円から1万円以上取られてしまいます。
継続的に通って治したいと思っても、私のように経済的に苦しい場合はなかなか続けられません。
アメリカなどは、カウンセリング先進国なので、料金も安いと聞いたことがありますが、日本ではまだまだ、一部のお金持ちの向けの治療法だと思います。

今回のカウンセリングにあたって、最初は全てを話そうか、どうしようか・・・、本当に信頼できる人かどうかも分からないし・・・とすごく悩んでいたのですが、主人が
「どうせ行くなら全部話して、全部見てもらって良くしてきなよ。」
と言ってくれたので、もう開き直って、なにもかも全てありのままにお話しすることにしました。

自分の肉親がこんなにもめちゃくちゃな人間だということ、そして自分の家の中で起こったあらゆるおかしなことを、他人に話して聞かせるのは、本当に恥ずかしく、つらく、みじめなことでした。
その場にいる人は、カウンセラーの先生と、カウンセラーを志している生徒さんで、私の話を興味本位に聞いている人たちではないんだと分かっていても、見せ物になるような恥ずかしさがありました。

だから、あらかじめお話しすることをまとめたメモを読み上げるようにし、自分のことではないように、できるだけ淡々と話しました。
自分ではない誰か他人の人生について話すのだ、と言う風に意識しました。

もし、自分さえ過去のことを忘れられれば、きっとうちの家族のことは、永遠に家族だけの秘密のままで、誰も恥をかくこと無く終えられたのでしょう。
でも、もう、一人で抱え込んでおくのは限界でした。

今日はなんとか泣かずに、最後まで感情的にならずにお話しできたと思いますが、自殺未遂を繰り返した当時のことや、虐待の昔のことをお話しするときは、気を抜くとわーっと、何かがこみあげてきそうでした。

でも、今回初めて詳しく第三者に話したことで、あらためて自分は、「ずっと母にたかられていたのだ」と思いました。
お金もそうですし、精神的にも、生まれてきた時からずっと、私は母にとって非常に都合のいい奴隷だったのだと。

そして反対に兄は、母が本当に大事にしておきたい宝だったのだろうと思いました。

人に話してみて良かったと思います。


審査は通るかどうかわかりませんが、もし通ったら、相場より比較的安い値段でカウンセリングを受けることができます。
受けることができたら、自分の人生を最初からやり直すために、一生懸命頑張ってみたいと思います。

それにしても、虐待被害者の会みたいなものってないのでしょうかね。
ネットで調べてみても、犯罪被害者の会とか、児童虐待を防止する会みたいなのはあるのですが、過去に虐待をされて大人になった人の心理的ケアを行うような公的な団体を見つけられません。

私は以前、ACA(アダルト・チルドレン・アノニマスという、機能不全家庭で育った人の自助会に行ったことがあるのですが、支部会には私ほどのひどい経験をした人は誰もいなくて余計にみじめだったのと、テキストの内容や会の進め方に非常にキリスト教的な思想が反映されていて、なんだか妙にしっくりこないなという印象でした。

ハイヤーパワーという神様の力を信じろとテキストには書いてあるのですが、神様が居たら、とっくに私を救い出してくれたはずだ、なんて、思ってしまう自分です。

それで、自分のひどい体験を語るのもなんだかはばかられ、徐々に足が遠のいてしまったのですが・・・なんとも難しいです。
ACAの会は、元々キリスト教的な下地があったり、西洋圏で育った人には合うのではないかなと思います。










名著『毒になる親』

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社プラスアルファ文庫)

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社プラスアルファ文庫)

 

 
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自分が虐待を受けていた、機能不全家庭で育ったという自覚のある方にとっては、あまりにも有名なこの本。
『毒になる親 一生苦しむ子供』はやはり名著でした。

私もこの本の存在を何年も前から知ってはいましたが、怖い気がしていたのと、心理学系のものをあまり信用しておらず、最近になるまで読んでいませんでした。

私は生きづらさ、対人恐怖で長年苦しみ、何かがおかしいと思っていました。
しかし、自分が虐待されていたということには、成人を過ぎても気付いていませんでした。
自分が苦しいのは自分に原因があると思い続けていたのです。

うつと希死念慮、自己破壊衝動に苦しめられ、心療内科やカウンセリングに頼りましたが、自分で虐待の事実に気が付いていないのですから、第三者に根本の原因が分かるわけがありません。
認知が歪んでいるからと、認知行動療法を勧められたり、森田療法を勧められたりして実践しましたが、どうやっても死にたい気持ちはとれませんでした。

そして、とにかくその場限り苦しみを紛らわせられればいい、とにかく今晩だけ眠れればいいと、どんどん薬に依存する生活になって行きました。

診察で「調子が悪い」と言えば、医者はどんどん薬を増やしてくれました。
デパスソラナックスベンザリンハルシオンユーロジンドグマチールジェイゾロフトパキシルリフレックスデパケン・・・
どんな薬も、頭はぼうっと麻痺させてくれますが、本当の苦しみを取り払ってはくれませんでした。
パニック症状を抑えるために処方された抗鬱剤パキシルは、特に依存性が強く、一度飲み忘れると、ジェットコースターのような眩暈と吐き気に苦しめられるようになりました。

このままでは一生治らない。
そしていつか苦しみに負けて必ず死んでしまう。
そう思った私は、薬を飲むことを自分でぱったり辞めてしまいました。
医者も薬剤師もカウンセラーも、一切信用できませんでした。
私を本当に治すという気が無く、ただ薬をたくさん買わせたいだけにしか見えなかったのです。

薬をぱったり辞めた後は、地獄の苦しみでした。
吐き気やめまい、脳みそがぞわぞわするような離脱症状で、まったく起き上がれない日が3か月以上続きました。
もう自分はおしまいだと思い、首吊も何度もやりました。

突然の断薬は本当に危険なことですので、薬を断ちたいと思っている方は、絶対に私の真似をしないで、気長に少しずつ減薬してください。
自殺を完遂してしまう危険があります。

こうして、私は薬に頼らず、自分で解決しようと試行錯誤をし始めました。

居酒屋のアルバイトから少しずつ復帰のリハビリをし、自分を癒す人や協力者を徐々に増やしました。
そして、少しずつ他者にカミングアウトする中で、親のおかしさを認識するようになり、この「毒になる親」の終章にある「親との対決」まで一人で行き着いてしまったのですが・・・

もしもっと前にこの本を読んでいれば、途中で迷ったり遠回りしたりすることも無く、もっとすんなり親から離れられていたでしょう。

生きるのがなぜかつらくて、少しでも自分の親に違和感を感じている人は、その違和感に目をつむらず、一度この本を読んでみてほしいと思います。

 

高校生でおねしょをしてしまう私

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今日は暖かかったですね。なんとか仕事を終えて帰り、晩御飯も食べました。
主人も体調不良になってしまったので、鮭のお茶漬けと豆乳バナナジュースを作りました。

鉛を飲んだような、いや~な苦しみと不安感は続いていますが、メールをくださる方、職場で助けてくださる方がいるので、必ず時が癒してくれると信じています。

母のことを思い出そうとすると、怖くてぼんやりしている部分がいっぱいあります。
毎回ブログを書きながら記憶をたどって、「そういえば」と思い出すことがたくさんあります。

「猫物語(黒)」というアニメに登場する羽川翼という女の子には、家の中で自分の部屋がありません。
私には「自分の部屋」という名目のものはありましたが、それは自分の部屋であって、自分の部屋ではありませんでした。
カギはありませんでしたし、母はいつでもどんな時でも私の部屋に入れるようになっていました。
前の記事でも書きましたが、私の机やかばん、洋服のポケットは全部漁られ、日記や手紙とは全て読まれ、描いたイラストは1枚1枚気持ちが悪いと罵られながらビリビリに破かれて焼かれました。

どんなに巧妙に隠しても、母は必ず次の日に見つけ出すのです。
私は監視カメラがあるのではと思い、部屋中を探し回りました。
でも、どこにも見つかりませんでした。
母は私が学校に行った後に、部屋の隅から隅まで漁っていたのでしょう。

漫画やライトノベル類は絶対に許されず、友達からこっそり借りたものは見つけられて、焼かれました。小学生の私は友達になんと言って謝っていいか分からず、弁償代として自分のお小遣いを渡しました。

その友達は優しく許してくれたのですが、今考えると、彼女はうちの母のよく怖さを理解していたように思います。
うちに遊びに来ていても、私の母が買いものから戻ると、窓からさっと逃げて、さよならも言わずに居なくなっていました。
もしかしたら、うちの母から何か言われていたのでしょうか。
それでも彼女は、うちの母が仕事でいない時を見計らって、よく本を持って遊びに来てくれました。

私は、小学校高学年になると、名目上の自室で、一人で寝ることを望みました。
今思うに、少しでも母と離れていたかったのです。
「夜遅くまで勉強するから」という理由で、私はできるだけ一人で寝るようにしました。
隅から隅まで漁られる部屋の中で、苦しいというメモすら書くことができず、唯一の楽しみはラジカセと文学小説でした。
堅い活字の小説であれば取り上げられることはなかったので、私は小中高と本ばかり読んで過ごしました。

「英会話の勉強をするから」と言ってウォークマンを手に入れ、買ってもらったクラッシック音楽や、昼食を抜いて貯めたお小遣いで買ったヴィジュアル系の音楽で、耳にふたをし続けていました。

そうしないと父と母の罵声が聞こえてくるからです。
しかし、あまりに激しい物音がした場合には、暴力で誰かがけがをしたのではないかと耳をすませなければなりませんでした。
喧嘩がエスカレートしてくると、止めに入る必要もありました。

私は一生懸命、そして、ひっそりと、息を殺して自分の世界を守りました。
でも、どうしても家族と川の字で寝なければならないことがありました。
父と母はいろいろな理由を付けて、私と同じ部屋で寝ることを望みました。
それは大学生になって、たまに帰省した時もそうですし、結婚後、婚家に両親が招かれた時もそうでした。
母は主人と義父を同じ部屋にさせ、私は父母と一緒に寝るように言いました。
川の字で寝ることは強制でした。
「たまにしか会えないから親孝行だから」と言って、同じ部屋で寝させられました。
義父も夫も、「一人しかいない娘だから大事にされているんだね」と言い、うちの両親の望むようにしました。私は嫌で嫌でたまりませんでした。

高校生の時も、私の部屋にバルサンを炊いたからとか、ムカデが居たからとか、そんな理由で母と同じ布団で寝させられました。
恥ずかしい話なのですが、そうすると、高校生の私は何故か必ずおねしょをしてしまうのです。

よく母は、私がすぐにおむつが取れて、ちっとも泣かない、手のかからない赤ん坊だったことを話します。
赤ちゃんの時におむつがすぐに取れ、幼少期もおねしょなんて全くしたことのない私が、高校生にもなって何度もおねしょをしてしまうのです。

うちの布団は上げ下ろしなどせず、万年床になっていましたし、母に告げればまた散々バカにされるのは分かっていましたので、私は早朝に気づかれないように着替えをし、布団をタオルで拭いて、そのままにしていました。
みじめで恥ずかしくて苦しい気持ちでいっぱいでしたが、そんな風になっても、自分が悪いのだとずっと思っていました。









母のサンドバックで、着せ替え人形だった私

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母からひどい電話があった後、食事が取れなくなり、ずっとおかゆや飲み物だけで過ごしていたのですが、だんだんご飯が食べられるようになってきました。
食事を作ることができず、買い物にも行くことができなくて、主人にはしばらくコンビニ弁当で我慢してもらい、とても迷惑をかけてしまいました。
主人にやつあたりもしてしまいました。

先日、職場の集まりがあったのですが、その帰り、私の様子を不審に思ったようで「大丈夫?」と聞いてくださった方がいました。

気にかけてくださったのがありがたくて、そして暗がりで人目も無かったこと、相手が年上の女性だったこともあり、張りつめていた何かが切れて、ぶわっと涙があふれてしまい。

初めて「実はちょっと肉親のことで・・・」と少しだけ打ち明けました。
あんまり全部のことを言うときっとびっくりされると思ったので、ただ、「肉親の執着がひどくて暴力もあって困っている。長年悩んでいたけれど、法律相談もし、もう解決の糸口は見えているので大丈夫です」とお話ししました。

今まで職場でも人を避け、最低限の仕事だけして帰っていた私です。
今の職場に勤めて数年。ずっと体調が悪そうなのも、「ちょっといろんなことがあって・・・」と濁していました。

私は幼少期からずっと、日常的に容姿に対する悪口を言われ続けていました。
毎日毎日です。
「お前は汚い、臭い。」「服の着方のセンスがない」「何をやってもおかしい」「背筋がいつも曲がっている、せむし女。」「歯が黄色い」「髪の毛が薄い」「歯並びが悪いから矯正しないといけないのに父のせいでお金が無い」「鼻が低い」「父に似て足が短い。私に似なかったから」「足が太い」「びっくりするほど毛深い」など。

殴られたり、物をぶつけられたり、髪の毛を引っ張って部屋から引きずり出されたりしながら言われたこともありました。
そういう悪口を言う時の母の顔は、憎悪、嫌悪に満ちていて、心底気持ちがわるい!という風に私のことを言うのです。

かと思うと、「クラスで一番かわいい」「淡い色を着せると似合う」などと褒める時もありました。私は母の言葉を全部真に受けていましたが、今思えば、母の気分次第だったのでしょう。
母にとって私は、いつでもどこでもいじめて殴ることのできる、サンドバックだったのだと思います。

私は人から見られるのが怖くて、常に人の目から隠れて生活するようになりました。

学校で「かな子はかわいいよ」と言ってくれたり、「かわいいのだからもっとおしゃれすればいいのに」と、言ってくれたりする女の子もいましたが、私は自分を気持ちの悪いものとしか思えず、人前に出るのが大の苦手になりました。
今も仕事以外はほとんど引きこもって暮らしています。

母は洋服を買うのが大好きで、部屋にはものすごい枚数の服があふれかえって、山のようにぐちゃぐちゃになっていました。
同じような色の同じようなデザインのものも何枚も何枚もあり、一度も着たことがない服もいっぱいありました。
一度も袖を通したことのない服であっても、母は「これは品が良くて高いものだったから」と言って、決して捨てようとはしませんでした。

そして、私のことも着せ替え人形のように着飾らせるのが大好きでした。
一番おしゃれをしたい中学、高校時代も、母の選んだもの以外着ることは許されず、私は息のつまるような思いで過ごしました。
実家から外に出かける時は、必ず母の選んだ服を着なければならず、私は外出が苦痛で苦痛でたまりませんでした。
「お前はあごが出ている」「きもちわるい、臭い」などと言うくせに、母は私をお人形のように扱って、上から下まで母の好みの洋服を着せるのです。

母の着せ替えごっこは最近まで続き、私が今持っている服のほとんどは母が買ったものです。
私は30代の大人の女性です。30代女性の洋服のほとんどが、母の見立てたものだなんてことがあるでしょうか。

お金がないお金がないと言って、私に借金まで申し込んでくる母に、一体どうして服を買うお金があるのか分かりません。ですが、母は次から次へと服を買ってきます。

私は借金返済もあり、下着を買うのもケチるような暮らしをしているので、母が買ってきた服を仕方なく今も着ています。

母の選んだものを着るのは気持ちが悪く、正直全て燃やしてしまいたいです。

でもそうすると私の服がほとんど無くなってしまって大変な出費になるので、服に罪はないんだと言い聞かせて使っています。
そして少しずつですが、母が買った気に入らないものはリサイクルショップに売るようにし、代わりに自分で選んだ古着を買って、母の買ったものを無くしています。

母の服がすべて無くなったら、私は母の支配から逃れられるのでしょうか。
母と絶縁し、もう新しく母の服を着なくていいと思うと、本当に心からせいせいします。

でも、自分で選ぶ服も、母の趣味が入っているような気がして、自分で服を買うのがとても苦手です。
主人は「自分の中からお母さんをすべて追い出そうとしたら、自分が苦しくなる。すべて追い出そうとしても、お母さんの影響を受けて育ってきた以上、それは無理なことなのだから、そのまま受け入れて生きていけばいい。」と言います。

いつか、私にも自分らしさが見つかるのでしょうか。

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初心者で、HTML等も分からず、少しずつ調べながら作っています。
体調がすぐれない時も多々あり、不具合等ありましても、すぐに直せないこともあります。
気長に見守っていただけたら幸いです。