母を褒め続ける子ども
約束があって、仕事後、以前の職場の先輩のところに行ってきました。
いつも気にかけてくださる65歳の女性です。
私がパニック障害を隠しながら勤務していた時期、私の異変に気が付いて、いつも体を気遣ってくれた方でした。
初めての職場で、仕事のやり方を丁寧に教えてくださったのもその方です。
今は退職されて、近所の高齢者グループで集まって、いろんな活動をされているのですが、「人って言うのはいくつになっても子どもで、ほめてあげて、認めてあげるとどんどんいろんなことをやり出す」っておっしゃっていました。
その話を聞いて、私も母をよくほめていたなあと思い出しました。
母が私をほめたことなんてないのです。いつも罵倒され、気持ち悪い、臭いと言われ、手足の長さや髪の量、歯並び、口臭、顔だち、様々な欠点を毎日毎日あげつらねられて育ちました。
人前に出るのが怖く、不登校になりかかっていましたが、世間体第一の母が学校に行かないなどということを許すはずも無く、殴られて、鼻血を出し、制服が血で真っ赤になりながらも、電車に乗って学校に行きました。
父も母も異常に外面が良く、いい服を着て自分を立派に見せるのが上手い人でした。
近所の大人も、学校の先生も、誰ひとり、私の地獄のような境遇に気づく人はいませんでした。
今、30を過ぎても、私は自分自身を「気持ちの悪いもの」だとしか思えません。
そんな風になっても、私は母を褒め続けていました。
母は自慢がすごく多いのです。
母の話のレパートリーは
「あいつがあんなことをしていた、異常者だ」
という悪口か、
「私はこんなことをしてやった、どうだ、すごいだろう?」
という自慢話のどちらかしかありません。
私は、「どうだ、すごいだろう?」に対して、「すごい、お母さんみたいにできる人はいない」と、言いつづけました。
母の承認欲求は今考えると異常です。
決して満たされることが無い。
毎日毎日、何回も何回も、自分の手柄を、本当にささいなことまで言い尽くさないと気が済まないようでした。
一体何が母をそうさせていたんでしょう。
本当に寂しい、慢性的飢餓状態の人間だったんだなと、今にして思います。
ちょっと調子が悪くなってくると、いろいろな記憶の蓋が開きます。
しかし、どんなに考えても、どうしてあんな理不尽な目にあったのか、私は何のために産まれてきたのか、まったく分からなくて、辛くなるばかりです。