いつか、雨はあがる。

虐待でうつ病、パニック障害を発症。自殺未遂、向精神薬・安定剤依存、入院を経て、現在は非正規で働いています。ようやく前向きになれてきました。

大丈夫と言い聞かせて

このブログにはいつも「しんどい」ということを漏らしていますが、こんなブログに果たして意味があるのかしらとも思っています。

なかなか希望のある明るいことが書けなくてすみません。

 

今日も職場でとっても疲れてしまいました。

職場ではもちろんプライベートなことや、対人恐怖気味であることなど何も言っていないので、なんにもしゃべらない私は多分おかしな変な人だと思われています。

誰とも話したくなくて早めに仕事から帰っているのですが、やる気が無い人みたいです。

明日は遅くまで残ろうかなと思っているのですが。

 

でもきっと堂々としておけばいいのですよね。

こうやって書くことで認知の歪みを治したりできるといいなと思います。

暑くなってきたので体もちょっとだるいです。

元気になりたいなあ。

 

ペイフォワードと「心病む母が遺してくれたもの」

今日は仕事が休みでほっとしています。

昨日は安定剤を飲みました。

仕事をしている途中で自分が悪いことをしている(人に変な印象を与えている、失礼なことをしている)のではないか?という思いが強くなってきて、怖くなり、罪悪感がすごく出てきました。

 

ある方に私がやるべき仕事をやってもらったのですが、それに対してお礼をしなければ・・・と思い、でもうまくお礼を言うことができず、お礼のつもりが仕事ができなかったことの言い訳みたいになってしまい、とても苦しかったのです。

とにかく相手の方に申し訳ないという気持ちでいっぱいになり「死にたい」と思ってしまいました。安定剤を飲んで人とほとんど話さず帰宅しました。

夜は2時くらいまで起きていて、心がざわついていました。

 

今まで人とのかかわりを楽しいと思ったことが一度もありません。

他人に対する信頼感というのは、人間が生まれてすぐの母親との関係で培われるのだそうです。

そもそも自分には母親との間に信頼関係がありませんでした。

母親は自分に危害を与える存在でしたから、とにかく母親から隠れようというのが、自分が小さい時いつも思っていたことでした。いつもいつも物置に隠れて、その物置だけが安心できる居場所でした。3歳くらいの記憶です。

時に探し出されて「なんでこんなところにいるんだ?!」と引っ張り出されたりしていましたが、見つからないようにいつも息をひそめて隠れていました。

そのことを思いだして、昔から自分は一人が一番楽だったと改めて思います。

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金曜日の夜にやっている「家族狩り」というドラマを見ました。

天童荒太さんの原作のドラマです。虐待や家族問題に関する話のようです。

きっと病んだ人間、病んだ家族と言うのはこの世界に当たり前のようにあるのでしょうね。

人は抑圧されると(ストレスがかかると)、それを自分より下の人間にやらないでは済まないのでしょうか。

「ペイフォワード」という、人から受けた厚意を別の人に渡していく映画がありました。機能不全家庭で育った少年が善意を他人に渡す行為をしていく話です。

この「ペイフォワード」(次に渡せ)の思想を、厚意でなく悪意の譲渡に使っている人がなんて多いことか。

「恩は遠くから返せ」という言葉を大聖寺暁仙という人が言ったらしいですが、厚意はA→B→C→D→ といくら波及して行ってもいいでしょう。

でも、悪意はA→B→C→ となっていってはいけないと思うのです。

やられたらやられた人に返す、A→BならB→A、「ペイフォワード」ではなく「ペイバック」しなければ。

私の母は誰かから少しずつもらってきた悪意?を自分の中で勝手に熟成させ、憎しみに換え、生まれてきたばかりの私にペイフォワードしてくれちゃったんだろうなと思います。

そうして、母は徹底的に私をいじめ、こんな風に生きるのが苦しい人間を一人作り上げました。 

悪意を悪意と感じない人もまずいでしょうね。産まれてから親に悪意ばかり与えられていると悪意を愛情と錯覚し、大人になっても不幸を引きずるパターンがあります。

自分もそうだったのでよく分かるのですが。

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メールをくださる方からおすすめされて「心病む母が遺してくれたもの」という本を読みました。

統合失調症の母親を持つ壮絶な生い立ちの女医さんの話です。自殺未遂を何度も繰り返しながら心を閉ざして働き続けたそうなのですが、自分の20代の苦しみとかぶり痛いほど気持ちが分かりました。

どこにもすがるものが無いさみしさ、怖さ、わらにもすがりたさ…でも誰も愛してくれない。ずっとそばには居てくれない。

しかし、冷たく閉ざされていた筆者の心も様々な経験を経てほぐれていき、今は「穏やかな顔つきになったね」と人から言われているそうです。

死を望み続けるほど苦しい思いをして生きてきて、それでもやり直す気があればちゃんと救いもあると教えてくれる本でした。

親を捨てて穏やかな日々

今日の仕事終わりました。また誰とも話さずに帰ってきました。

あいさつはしたのですがなんだか声が出なくて変な発声になってしまいました。

妙に気分が上がらない時があって、元気にふるまいたいと思っているのですがどうしても声が出ない笑顔も繕えない時があります。

自律神経の問題なのでしょうか。

しかしそれでも前よりはずいぶんマシです。

前は毎日そんな感じでしたが、最近は3日に1度とか4日1度の憂鬱になりました。

最悪の鬱状態からは脱してきたように思います。

これから少しずつ治っていくと信じたい。

 

一番の薬は何と言っても、家族から離れたことです。

飛行機の距離に離れて暮らし着信拒否もしているおかげで、向こうからは一切何の連絡もありません。警察にも相談に行き親が来たら不審者として通報していいとアドバイスもらい、大変心が軽くなりました。

連絡が全く無くなって3か月くらいになるのですが、こんなに長く連絡が来ないのは私の人生で産まれて初めてのことです。

家族からの連絡が無いことでこんなにもスッキリ恐怖を感じずに暮らせるのだと改めて驚いています。

 

親が貧乏で悲惨な暮らしぶりを伝えてきたり喧嘩の内容を言って来たりする度、一体今までどれだけの心労だったか…。

親がお金に困っていることに本当に心を痛めていました。

親がそんな状態なのに自分が普通にご飯を食べて暮らしていることに罪悪感を感じ、自分を喜ばせるような娯楽に興じることは徹底的に避けていました。

服も買わない、お菓子も食べない、贅沢は絶対しない・・・。なぜなら両親がもっとひどい暮らしをしているから。自分が贅沢をするのならそのお金を仕送りせねば・・・と。

今は洗脳が解けましたが、母の同情を誘う口ぶりで長年そんな風に思わされていました。

少し楽しいことがあっても楽しいと感じてしまったことが罪悪感になり、いつも「両親に申し訳ない」とばかり思っていました。

 

カウンセリングにかかって「かな子さんがお金を渡さなかった間もご両親は生活できているのでしょう?だったらお金をあげなくても二人は暮らして行けるんですよ」と言われ、はっとしました。

私が閉鎖に入院し、送金しなかった間も二人は別に飢えたわけではありませんでした。母は装飾品を買い続けていましたし、外にパートに出ればいいのに「近所にみっともないから」と絶対に外に働きに行きません。

 

両親はいつも金銭面で私を頼ってきました。私もそれに応えれば愛情がもらえると思っていました。

反対に兄はいつも両親からお金をむしり取って行きましたが、兄が責められたり否定されることはありませんでした。

何もかも生まれた時から、兄と私の役割は決まっていたのでしょうね。

「兄は母から溺愛される子どもであり私は利用される子どもだった」と、今はもう受け入れることができます。

 

私に安らぎや愛情を与えてくれない親なのであれば、こちらから捨てようと思いました。

どんなに頑張っても尽くしても評価されないのなら頑張ってもムダですし、そもそも親は私を意志ある人間とは見て居ませんから。

今、親を捨ててとても心が楽です。

まだまだ後遺症に苦しめられてはいますが、これから少しずつ元気な日が増えると思います。

どうかこのまま、縁がすっきりと切れてくれますように。

 

このブログをお読みの方で、親に対して不毛な努力を続けている方がいましたら、「親を捨てると楽になりますよ」と言いたいです。

実の親が自分と全く反対の価値観のこともあります。

自分を徹底的に利用し尽くそう、不幸にしようと思っている場合もあります。

なかなか気づけないかもしれませんが、一度考えてみてください。

親は本当に自分の味方なのかどうかを。

小さいころの自分

一人でお風呂に入っている時、よく家のことを思い出します。

一人でぼーっとする時間がお風呂くらいしか無いからでしょうね、ありがたいことです。

 

母は兄のことは大好きだったようで、兄がどんなに悪いことをしても母は兄の味方でした。

兄は小さいころから、父の財布からお金を抜いていました。

私は何度も咎めましたが、親元を離れるまでそれをやり続けていました。

父はそんな兄を叱らずそれに気が付いてもヘラヘラ笑っていましたし、母も咎めませんでした。母は兄を恋人みたいに思っている感じでした。

私は人の財布からお金を抜くなんて泥棒だと思っていましたから、兄の様子は見ていたけれどそんなことは一度も真似しませんでした。

 

もうすぐ七夕であちこちに笹が飾ってあります。

願い事をお書きくださいの短冊に「家族みんな(義父と夫)が健康で笑顔でいられますように」と願いを書きました。何となく、自然と手が動いて書いた願いでした。

そう書いて思ったのですが、母は私や父が元気で笑っていられればそれだけでいい、とはきっと思っていなかったのでしょうね。

 

私には良い学校や良い仕事を(良い仕事と言うのは、人に自慢でき見栄の張れるという意味で)、父にはもっともっととお金を求めていました。

今の私の年には母は2人の子持ちでしたが、きっと今の私の様に穏やかな心持ではなく、どこへ行っても見栄の戦いだったのだと思います。

保育園に通っていたころの私はもうすでに母の自慢の道具で、華美な服を着せられみんなの前でピアノを披露するように言われていました。「うちはよそとは違う、特別な家だ」というのは母の口癖でした。

自慢気な母の態度が保母さんに嫌われていたのでしょう、家では母から叩かれ罵られ、保育園の先生からも辛く当たられる毎日でした。

今あのころの自分を遠くから見つめて本当にかわいそうに思います。

私は誰にほめられたいわけでもなかった。

ただお母さんにだっこしてほしかっただけでした。

ウォーキングをしたりし始めました

ずっと風邪をひいていて、今日も喉が痛いです。

早く一週間終わるといいなあ。

大した仕事量ではないのにとても疲れます。

 

でも今日の仕事も無事に終わりました。

きっとそんなに変でもなく、普通の人の様に過ごせた気がします。

朝に安定剤を飲んだからなのですが。

 

新年度から新しい仕事をしているので、今月でやっと3か月です。

薬を飲むのをかたくなに我慢していたのですが、慣れるまではお薬を飲んでもいいかなと思い始めてきました。

ビタミンBのドリンク剤やビタミンCのサプリメントもお金がかかるからと思って買っていませんでしたが、ちょっとでも体の状態良くなるといいなと思い、安いものを買いました。

 

仕事終わり、何か家にある残り物で夕食を済まそうとあえて買い物もせず帰りました。

肉類も無かったので小麦粉に卵とじゃがいものすりおろしを入れ、長ネギを入れて、たこぬきのたこ焼きを作りました。

タコは入っていないけど、夫も「別に味は悪くないね」と言ってくれ、なかなか安上がりな夕食になりました。

食べ終わってから30分くらいウォーキングに行きました。

最近仕事終わった後、近所をウォーキングしています。

雨でできない時は、家にある踏み踏みする健康器具を3分踏んでいます。

有酸素運動をすると頭が休息モードになる気がするのです。

夜は筋弛緩法をやっています。腹式呼吸も良いですよね。

過敏になった神経が落ち着いて、ゆっくりねむれるといいなと思います。

人に自分を良く見せるための不毛すぎる努力

コメントやスターをいただき、本当にありがとうございました。

職場でも上手くやれず対人恐怖も強くなり、その上唯一の吐き出し口だったカウンセリングにも行きにくくなって、思わず感情的に書きなぐってしまいました。

 

コメント欄で教えていただいた市や県の精神保健福祉相談を一度利用してみようかと考え始めました。

検索しても民間の所しか出てこなかったので、情報を教えていただけて本当に感謝しています。

平日の午後、仕事が無い時が月に1度あるので、その時を利用して相談に行けたらと考えています。

 

ただ、不安もあります。

数年前まで通っていた精神科や心療内科、それに付属するカウンセリングがそうだったのですが、私の症状は非常に軽く見えるらしく、いつも

「あなたは大丈夫だよ!」「考えすぎだよ」「とにかく自分がしっかりすること」

などと言われ、ただただ励まされて終わらされることが多かったのです。

私の気持ちを初めてちゃんと聞いてくれたのが、今かかっているカウンセラーの先生でした。

だから、「自分の苦しみを分かってくれる人がいるだろうか?」という強い不安があります。

 

私は一見、しっかりしているように見えるようなのです。

そして「具合が悪そうだね」とも良く言われます。

しっかりしているように見えるよう、必死の演技をしているからです。

文字通り死にそうなほどの演技です。だから人前に長時間いることができません。

外から帰ったら昼間であってもすぐに着替え、布団に入って寝込んでいます。

それを分かってくれる人は誰もいません。

 

母が私に徹底的に教えたのは、とにかく「魅力的な人物に見えるようにすること」でした。

母は「自分が変に見えないようにすること」、「優れた人に見せること」に、命をかけていたと言っても過言ではありませんでした。

母は近所のスーパーに行くのにもハイヒールを履いていくような人でした。

自己顕示欲の塊のような女でした。

私も母の自慢の娘(装飾品の一つ)として、殴られながら、自分を魅力的に見せるやり方を徹底的に教え込まれたのです。

 

小さいころは怒られるので何もかも母の言う通りにやっていました。

しかし、貧乏なのに服飾品にお金を使う神経が分からないのと、だんだんと具合が悪くなりすぎてしまい、成長するに従い、きちんとした服を着たりすることができなくなって行きました。そんな私を見て母は「だらしない!」「汚らしい!」といつも怒っていました。

今はとにかく楽な服ばかり着て、ほとんど化粧もせず、髪の毛はひっつめでなんとか仕事に行っています。

 

夫が私に初めて会った時の印象を「すごく優秀できちんとした人に見えた」と言います。

「自分なんか相手にされないような完璧な人だろうなと思った」と言うのです。

実際付き合ってみたら、物は忘れるわ事故は起こすわ自殺未遂は繰り返すわで、完璧な人とは程遠い、欠陥だらけの病気人間だったわけで、夫もずいぶんびっくりしたようなのですが、外では私はそのように見えていると言うのです。

夫は「あなたはプライドが高いんだよ」と言いますが、自分ではその真逆だと思っています。自信があまりに無さすぎるがために、仕事をクビになるのを恐れるがために、そういう演技をしているのです。

とにかく、自分でもなんとか外で自然体でいられる努力をしなければなりません。

殺せばよかった

カウンセリングに関して、愚痴を言わせてください・・・。

 

カウンセリングに行ってきましたが、お金が高くて嫌になってしまいました。

場所とシステムが変わり、格安の料金だったのが大幅の値上げ、場所も随分遠くなりました。

初めての場所だったので30分以上前に余裕を持って出発しましたが、分かりにくいところで迷ってしまい、遅れるとの連絡を入れました。

迷って遅れたのはもちろん私がが悪いのですが、結局20分くらいしか話を聞いてもらえず、それなのに高い料金を取られて余計に辛くなりました。

 

今の私にとってはお金はとても大切で、働かないと莫大な奨学金も返していけない。

でも対人恐怖が強くて長時間の仕事ができないので、たくさん稼ぐことができない。

長く人といると頭がおかしくなってきて、恐怖のあまり死にたくなるのです。

なんとかして治したいと、わらにもすがる思いでカウンセリング料金を工面しているのに、どうしてこんなに高いのでしょう?

具体的な解決策を挙げるでもなく、ただ頷いて聞いてくれるだけなのですが、それがそんなに高いお金を払うほどの高度な技術なのでしょうか?

 

他にもっと安いところはないだろうかとネットでいろんなところを探してみましたが、どこもべらぼうに高く、カウンセラーという職業そのものが信用できなくなってきました。

結局、終わってしまった過去のことを忘れられないような人間はどうしようも無い、苦しんで生きろ、無理なら死んでしまえということなのでしょうか。

 

親に虐待されて育ってきたような人間にこそカウンセリングが必要だと思うのに、そんな人間がカウンセリングを頻繁に受けられるような給料を稼げていると思いますか。

貧乏でギャンブル依存連帯保証人になって借金持ちのような親こそが、ストレスから子どもを思うままに虐待します。

そんな親に育てられた子どもが、まっとうに仕事に就いて、高額なカウンセリング料金を払うことができると思いますか。

 

カウンセラーさんも儲からない大変な商売だとは聞いていますが、それにしたって値段が高い。カウンセリングは金持ちだけの治療ですよ。

こんなに苦しいのに、誰も助けになってくれる人はいない。

結局昔も今も同じなんだ。

生まれた家が悪ければ、それはもう自己責任でどうしようもないのだと感じました。

私はきっと前世で何か悪いことをしたのでしょうね。

体調が悪く、昔のことを思い出してしまうたび、あの時どうして母を殺して自分も死ななかったのかと考えることがあります。

私の人生を恐怖でいっぱいにし、めちゃめちゃにした母親が、全く後悔をすることもなく、今現在ものうのうとご飯を食べ、息をして生きているのだと思うと、時々気が狂いそうになります。

殺してやればよかった。