親戚の死と父との電話
ブログの更新をお休みして以降のことです。
親戚の人が亡くなり、親戚から連絡がきました。
お香典のことがあるので、私から父に連絡をし、一緒に持って行ってもらうことにしました。
父からはこちらに連絡できないように着信拒否してあります。
この電話は事務的なことだけで済みました。
母や兄に会いたくなかったので、お葬式にはどうしても行けない旨を親戚にこちらから伝えました。
数日後、夫が父に電話をしました。
夫は、私の代わりにたまに父と話してくれます。
その日、夫は父との電話で私に代わると言いました。
私は事務的なこと以外話したくなかったので、「嫌だ」と言ったのですが、連絡を取らなくなってからかなり時間も経っていたので夫も大丈夫だと思ったのでしょう。
「久しぶりだし代わったら」と言うので、しぶしぶ代わりました。
父との電話の内容はやはり「母や兄を許してやれ」ということでした。
「たとえどんなことをされたとしても、血のつながりは切れないものなのだから」
「そうまでして肉親を許さないのは、頭が固すぎるのではないか」
などなど・・・
父は時には激昂して、叱るように私に言ってきました。
またこの話か。
何度同じことを説明したら分かるんだろう?
本当に辛くなりました。
何度もした説明を繰り返しました。
「私に「母や兄に会え」と言うことは、私に「死ね」と言っているのと同じだ。」
「私が自殺未遂を繰り返したり、精神病院に入院する原因となっていたのは母と兄だ。」
「父にはいつか会ってもいいと思っているが、そういう話をしてくるのであれば、一生会うことは無い」
それから、
「もし、母や兄が私に許してほしいと思っているのであれば、二人が直接私に謝りに来るべきではないか?」
ということも言いました。
住所は分かっているのですから、着信拒否されていたとしても手紙なりなんなりで謝る方法はあるはずです。
「父に謝られたってどうしようもない、二人が私に謝罪しないのは、別に悪いとは思っていないからだろう」と。
このように説明しているうち、父は「どうして分かってくれないんだ!!」という気持ちになり、こちらも語気が強くなってしまいました。
父はそれでも「だけど・・・」という風に、反論してきました。
私は、
「父があの人(母)と一つ屋根の下で暮らせていることが驚きだ、よくあんな怖い女と暮らせるね」
ということを言いました。
「あの人は二重人格、恐ろしい面を持っている人だよね、よくあの人と一緒にいられるね」と。
すると、父も
「実は未だに家庭内別居していて、別の部屋で暮らしている。母のことは一切信用していない。」
と言い始めました。
「自分がそうなのになぜ人にできないことをしろというのか?」と言うと、「お前は親子だから」とまた堂々巡りです。
でも、私の強硬な態度に、父の口調も少しずつ弱くなっていきました。
そして父はこう言い始めました。
「(母に対して)『お前はかな子が小さいころに、死ねなど酷いことを言ったのか?』と尋ねたんだ。母は『イライラしていて言ったことがあるかもしれない』と白状した。『どうしてそんなことを言ったんだ』と問い詰めたけど・・・」と。
「言ったかもしれない」どころではない。
あの虐待は何だったんだ?と言いたかった。
鼻血が出るまで殴られたり、大事な物を破かれたり、捨てられたり、リモコンや物が飛んできて当たって痛い思いをしたり・・・
殴られたところがジンジン痛くて、自分がやったことはそんなに悪いことだったかと恥ずかしく、みじめな気持ちになりながら、心がズタズタで死にたくて、眠れなかった毎日。
母に殴られながら、辱められながら、私が一体どんな気持ちで生きのびてきたか、母には全く想像がつかないのかもしれない。
母の心には何も引っかかっていないのかもしれないと思った。
だけど、「イライラしていて(死ねと)言ったことがあるかもしれない」と認めたというだけで、少し溜飲が下がりました。
自己肯定力とプライドだけは人一倍の母だから、絶対に自分が悪いとは認めないだろうけれど、それでも少しでも後悔して生きて行ってくれたら。
私にやったことを心のどこかで一生悔やんでくれたらと思いました。
・・・でも、そうでなくても構わない。
母が私のことを何とも思っていなくてもよい。
出来の悪い不孝娘が、精神異常になって勝手にどこかに行った、と思っていてくれても構わない。
いずれにせよ母は、私の人生からドロップアウトした人なので、今後どのような人生を歩もうが、どのように考えて生きて行こうが知ったことではない。
母がどのように死ぬかは、神様が決めてくれると思っています。
父との電話の後、しばらく気分の悪さが続きました。
夫は
「お父さんがまだしつこくあんなことを言うとは思わなかった。代わらなければよかったね、ごめんね」
と言ってくれました。
それだけで、「私には味方が居てくれる」と、少しほっとしました。