ペイフォワードと「心病む母が遺してくれたもの」
今日は仕事が休みでほっとしています。
昨日は安定剤を飲みました。
仕事をしている途中で自分が悪いことをしている(人に変な印象を与えている、失礼なことをしている)のではないか?という思いが強くなってきて、怖くなり、罪悪感がすごく出てきました。
ある方に私がやるべき仕事をやってもらったのですが、それに対してお礼をしなければ・・・と思い、でもうまくお礼を言うことができず、お礼のつもりが仕事ができなかったことの言い訳みたいになってしまい、とても苦しかったのです。
とにかく相手の方に申し訳ないという気持ちでいっぱいになり「死にたい」と思ってしまいました。安定剤を飲んで人とほとんど話さず帰宅しました。
夜は2時くらいまで起きていて、心がざわついていました。
今まで人とのかかわりを楽しいと思ったことが一度もありません。
他人に対する信頼感というのは、人間が生まれてすぐの母親との関係で培われるのだそうです。
そもそも自分には母親との間に信頼関係がありませんでした。
母親は自分に危害を与える存在でしたから、とにかく母親から隠れようというのが、自分が小さい時いつも思っていたことでした。いつもいつも物置に隠れて、その物置だけが安心できる居場所でした。3歳くらいの記憶です。
時に探し出されて「なんでこんなところにいるんだ?!」と引っ張り出されたりしていましたが、見つからないようにいつも息をひそめて隠れていました。
そのことを思いだして、昔から自分は一人が一番楽だったと改めて思います。
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金曜日の夜にやっている「家族狩り」というドラマを見ました。
天童荒太さんの原作のドラマです。虐待や家族問題に関する話のようです。
きっと病んだ人間、病んだ家族と言うのはこの世界に当たり前のようにあるのでしょうね。
人は抑圧されると(ストレスがかかると)、それを自分より下の人間にやらないでは済まないのでしょうか。
「ペイフォワード」という、人から受けた厚意を別の人に渡していく映画がありました。機能不全家庭で育った少年が善意を他人に渡す行為をしていく話です。
この「ペイフォワード」(次に渡せ)の思想を、厚意でなく悪意の譲渡に使っている人がなんて多いことか。
「恩は遠くから返せ」という言葉を大聖寺暁仙という人が言ったらしいですが、厚意はA→B→C→D→ といくら波及して行ってもいいでしょう。
でも、悪意はA→B→C→ となっていってはいけないと思うのです。
やられたらやられた人に返す、A→BならB→A、「ペイフォワード」ではなく「ペイバック」しなければ。
私の母は誰かから少しずつもらってきた悪意?を自分の中で勝手に熟成させ、憎しみに換え、生まれてきたばかりの私にペイフォワードしてくれちゃったんだろうなと思います。
そうして、母は徹底的に私をいじめ、こんな風に生きるのが苦しい人間を一人作り上げました。
悪意を悪意と感じない人もまずいでしょうね。産まれてから親に悪意ばかり与えられていると悪意を愛情と錯覚し、大人になっても不幸を引きずるパターンがあります。
自分もそうだったのでよく分かるのですが。
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メールをくださる方からおすすめされて「心病む母が遺してくれたもの」という本を読みました。
統合失調症の母親を持つ壮絶な生い立ちの女医さんの話です。自殺未遂を何度も繰り返しながら心を閉ざして働き続けたそうなのですが、自分の20代の苦しみとかぶり痛いほど気持ちが分かりました。
どこにもすがるものが無いさみしさ、怖さ、わらにもすがりたさ…でも誰も愛してくれない。ずっとそばには居てくれない。
しかし、冷たく閉ざされていた筆者の心も様々な経験を経てほぐれていき、今は「穏やかな顔つきになったね」と人から言われているそうです。
死を望み続けるほど苦しい思いをして生きてきて、それでもやり直す気があればちゃんと救いもあると教えてくれる本でした。