いつか、雨はあがる。

虐待でうつ病、パニック障害を発症。自殺未遂、向精神薬・安定剤依存、入院を経て、現在は非正規で働いています。ようやく前向きになれてきました。

子どもに仮病をつかわせる母

仕事が大変で、怒涛のように1週間が過ぎて行きました。

 

今日は朝から散らかった部屋を片付け、洗濯し、その後食べ物の買い物に行ってきました。

平日は疲れ切ってしまって、ご飯を作るのだけで精一杯で、ほとんど家事ができません。

 

前回の記事で書いた、母親に仮病のために化粧をさせられていたという話。

 

うちの家は、典型的な機能不全家庭でした。

両親が病んでいたんですね。

病んでいるとどうなるかというと、夜眠れませんから夜型の生活になります。

私が小学生のころから大学に進学して家を出るまでの間、両親は仕事から帰ってくると、そこから夜遅くまで、0時を過ぎてもずっと怒鳴り合いのけんかをしていました。

もちろん、手が出ることもあり、母の泣き叫ぶ声や父の怒号が聞こえたりしていました。田舎の一軒家でしたから、幸い近所に通報されたりすることは無かったですが。

 

そうなると、私も心配で眠れません。

聞いていたくないし、母をかばったりしてもどうにもならず、けんかが怖いので、自分の部屋で寝ていましたが、夜遅くまで寝付くことができませんでした。

 

翌日は、家族全員寝坊です。

学校に遅刻しないようにするには7時過ぎには起きないといけないのに、目が醒めたら9時すぎ、ということが何度もありました。

そして起きても体がだるい。しんどくて、胃が気持ち悪い。

私の母は朝ご飯を作ったことなんてない人でしたから、もちろん朝ご飯は抜きです。

 

全員が寝坊して起きても、父と母は自営業なので、会社に遅刻するなんてことも無く、誰に迷惑をかけるわけでもなく別に良いのですが、私は学校に遅刻しますから非常に困りました。

 

母は他人に対しては極度に良い顔をする人でしたから、もちろん学校の先生に対してもものすごく良い顔をします。

私にも完璧な優等生であることを求め、いかなるミスも許さない母でした。

そんな母にとって、「寝坊で遅刻させます」なんて連絡を学校に入れることは、本当に恥辱的だったのでしょう。

私は、毎回病気で体調が悪いということにさせられました。

「かな子の体が弱くて困っている。朝いつも体調が悪くなり、腹痛を起こしたりして学校になかなか行けなくて遅刻してしまう。」

と、母は学校の先生に言いました。

私も絶対に口裏を合わせるようにと言われていました。

本当のことを言うことは決して許されませんでした。

そうして、体の具合が悪いふりを、小学校低学年からさせられ続けることになりました。

 

母からの暴力や、連日の両親のけんかで、慢性的に胃が痛く、吐き気がするのは事実でした。

アトピーやアレルギーも酷く、体中はボロボロで、目のかゆみで角膜が傷つき、まぶしくて涙が出るので目を開けて生活することができず、登下校も手探りでやっとという感じでした。

 

そういう状況だったので、教師も信じやすかったと思います。

しかし、母はさらに嘘に真実味を持たせるために、仮病を使った日は、私に化粧用のベースクリームを塗るようになりました。

ファンデーションを塗る前につける、肌が青白くなるクリームでした。

小学生の私に母はクリームを塗り、登校させました。

私も「これで嘘がばれなくていい」とほっとしていました。

今思えばおかしな話です。

 

母は化粧が好きで、服も大好きな人でした。

いろんな化粧品を持っていました。

 

私は今、ほとんど化粧をしません。

ファンデーションとリップクリームくらいです。服も最小限の古着しかありません。

母への反感から、全く逆の人間になろうとしているのかもしれません。

 

こんな風に、私の子ども時代は嘘にまみれていました。

母は学校の先生に対して、病弱な子どもに苦労する良き母という印象を勝ち取り、自分を守っていたのだと思います。

そして、私の家の病理は、誰に露見することもありませんでした。

他人にはひた隠しにされたまま、体裁だけを繕って、家の中は地獄でした。