抗えない力
今日は仕事が休みになりました。
仕事を一生懸命やっているつもりなのですが、どうしても自己不全感が抜けません。
主人に完璧すぎるところがあるから、治した方がいいと指摘され、なんだかますます落ち込んでしまいました。
カウンセリングでも言われていることですが、完璧でない自分も愛せるように、そのままの自分でいいんだって思えるようにならないと、毎日苦しいばかりです。
小さいころから母に認めてもらった記憶のない私には、そのままでいいとか、自分に価値があるっていう考え方が、どうしてもできません。
もちろん、疲れると休もうとか、咳が出るから病院に行こうとか、そういう気持ちにはなるのですが、ちょっと休んだりしていると、すぐに罪悪感がやってきます。
こんな風に休んでいていいのかな・・・
あれもこれもやっておかないと・・・
そんな考えが頭を占めて、休もうと寝ていてもずっと憂鬱な気分。
開き直るしかないのでしょうね。
そして、昨夜は久々に手首を切りたいと思ってしまいました。
主人も居ましたし、もうそんなことは絶対しないと決めたので、もちろん実際にはやっていません。
もしまた衝動が来たら、お酒を飲んだり薬を飲んだりしてやり過ごそうと思います。
今日は主人が出張なので、夜は安定剤を飲んで寝てしまおうかなと思っています。
家に居させてもらって、家族にしてもらって、主人には本当に感謝しています。
こんなに面倒な人間を奥さんにして、もっと良い人も居ただろうにと思う。
婚家には良くしてもらい、今は昔とは全く別の生活。
暴力や暴言のないし、持ち物を漁られないし、もう何の不自由もないはずなのですが、時々自分の心をふっと覗き込むと、深い深い真っ暗な穴がぽっかりあいています。
どうしようもなく、さみしくてさみしくて怖くて仕方ありません。
どうして誰も助けてくれなかったの?
苦しい気持ちが後から後から湧き出てきて、狂ったように泣き叫びたくなります。
大変な努力で毎日を過ごし、精神の安定を取り戻そうとしても、すぐに「自分は産まれてきてはいけない人間だったんだ」という考えに引きずり戻されていきます。
抗えないものすごい力なんです。
もしいつか主人が死んだら、私にやるべきことは何もないので、自分も死のうと思っているのですが、これは決して悲しい意味ではありません。
私と同じような経験をされてきた方は分かると思うのですが、機能不全家庭で育った人間が自死したとして、それはもう事故でしかないと思うのです。
厳しい環境に置かれた動植物が死んでいくのと同じ。この世の理なんだと思います。
「不必要な人間なんていない。無価値な人間なんていない。」なんてよく言いますが、一番愛されたかった親から不必要とされ、無価値に扱われた人間にとって、「自分が無価値で、生きている意味などない」ということはまぎれもない真理なんです。
だから、そうじゃないんだ、自分にも生きていていい価値はあるんだって言える理由を、ずっとずっと探し求めています。
きっと死んでしまえば、生きている間のことなんて、一瞬のまたたきみたいなものにちがいない、そう思って自分をなぐさめています。