いつか、雨はあがる。

虐待でうつ病、パニック障害を発症。自殺未遂、向精神薬・安定剤依存、入院を経て、現在は非正規で働いています。ようやく前向きになれてきました。

「イン・ハー・シューズ」を見て―母の愛を失うこと

イン・ハー・シューズ」という映画が深夜にかかっていたので、録画して見ました。

初見と思って見たのですが、数年前にも1度見たことがある映画だと、途中から思い出しました。

 

見た目は美人だけど、読書障害を抱えていてろくな職歴のない妹(キャメロン・ディアス)と、外見コンプレックスがあり、恋愛はうまくいかない弁護士の姉とが、家族の問題を通して成長していく物語です。

 

勉強は不得手な妹は、祖母の勧めで老人ホームで働くようになり、そこの入所者の元教授に詩の感想を聞かれて、解釈しA+の評価をもらいます。

その時読んだのが、エリザベス・ビショップ(Elizabeth Bishop)のこの詩でした。

 

 ONE ART

   The art of losing isn't hard to master;
   so many things seem filled with the intent
   to be lost that their loss is no disaster.

   Lose something every day. Accept the fluster
   of lost door keys, the hour badly spent.
   The art of losing isn't hard to master.

   Then practice losing farther, losing faster:
   places, and names, and where it was you meant
   to travel. None of these will bring disaster.

   I lost my mother's watch. And look! my last, or
   next-to-last, of three loved houses went.
   The art of losing isn't hard to master.

   I lost two cities, lovely ones. And, vaster,
   some realms I owned, two rivers, a continent.
   I miss them, but it wasn't a disaster.

   --Even losing you (the joking voice, a gesture
   I love) I shan't have lied. It's evident
   the art of losing's not too hard to master
   though it may look like (Write it!) like disaster.

 

 「ある術」
   ものを失う術を習得するのは、難しくない
   大体の物は所詮失くされようという意図でいっぱいで
   失くしたところで大惨事には至らない

   毎日何かを失くすこと。ドアの鍵を失くした動揺や、
   やり過ごした時間を、受け入れること。
   ものを失う術を習得するのは、難しくない

   次はもっと大掛かりに、もっと速く、失くす練習をしよう。
   場所や、名前や、旅に出るつもりだった行き先など。
   どれも大惨事に至ることはない。

   母の時計を失くした。 そして、ほら!好きだった三軒の家の
   最後の一つ、 それとも最後から二つ目だったかが、消えてしまった。
   ものを失う術を習得するのは、難しくない

   二つの素晴らしい街を失くした。そして更に広大な
   いくつかの領土、二つの河、大陸も一つ。
   どれも懐かしいけれど、大惨事に至りはしなかった。

   -- あなたを失うことでさえも (冗談を言う声、
   大好きなあのしぐさ) 嘘は言わない。確かに
   ものを失う術を習得するのは、難しくない
   でもまるで(書いて しまおう!)まるで大惨事に見えるけど。

 

映画の中で、妹はこれを愛を失うことの詩だと解釈します。

そして、仲違いしてしまった姉のことを思い、自分の中に「友達の愛を失ったこと」の悲しみを見出します。

Aプラスの評価をもらった後の、彼女は素晴らしい表情です。

得意気で、自信を取り戻したような顔。あんな顔を生徒にさせてあげられる元教授は、素晴らしい先生だったのでしょう。

 それから彼女は、嫌々ながら始めた老人ホームの仕事の中に、自分の居場所を見つけて行きます。

 

読書障害の彼女の朗読はとてもゆっくりです。だから、詩の朗読には向いています。一語一語が体に染み渡るように響くのです。

私は、彼女の拙い朗読を聞きながら、字幕を読み、そして自分の母のことを思い出しました。

エリザベス・ビショップは、この詩を失恋の詩として書いたのかもしれませんね。

ですが、 映画の中の彼女にとっては「大切な姉の愛を失うこと」、私にとっては「母の愛を失うこと」についての詩でした。読む人によって解釈の変わる詩です。誰にでも覚えのある感情です。

母の愛を失うことも、「disaster(大参事)」のように見えるけれど、大参事に至ることはありません。

私にとっては大きなことで、大変懐かしく、信じていたものでしたが、それを無くすることは別に大げさなことじゃない。

 

映画の二人の姉妹の母親は、精神疾患を患っており、二人が幼い時に自殺しています。父親も後に後妻をもらい、二人も適切な母の愛を受けられないまま成長した姉妹でした。

しかし、その分だけお互いに思い合いながら、時には傷つけ合いもするけれど、心を重ね合って生きていく様子が、印象的に描かれています。

姉の結婚式のシーンでも、素敵な詩が出てきます。

こんな風に思いやれる存在が1人でも居れば、きっとしっかり生きて、歩いて行けるのでしょうね。

間違いもするけれど、しっかり地に足を着けて、生きて行かなければならないと思いました。