いつか、雨はあがる。

幼少期からの虐待によってうつ病、パニック障害を発症。自殺未遂、向精神薬・安定剤依存、入院を経て、現在は非正規で働きながら兼業主婦をしています。対人恐怖を治療中。どのように自尊心を回復していくか、日々思ったことを書いていきます。

録音することの大切さ

祖母の死のことについて、思うことの記事を書いたのですが、たくさん書いたのに消えてしまいました。

言語化したことで、少しすっきりした気はしますが…。

保存の仕方を失敗してしまったようです。

 

今はあまり報道されなくなりましたが、ちょっと前、テレビで豊田真由子議員のパワハラについてニュースが流れていました。

テレビで録音のテープがかかるのですが、怒り方に母親に似ているところがあり、とても怖くなりました。

母はあれ以上にもっと金切り声で、言葉にならないうめき声や悲鳴を出しながら殴ってくるので、はっきりと言葉が聞き取れる豊田議員とはまた違うのですが、テンションは近いものがあります。

豊田議員は、あれを自分の部下にだけやっていたのでしょうか?

ご主人や子どもさんにはやっていなかったのでしょうか?

外面が全然違うところも母と同じです。

 

自分の母親以外にもああいうタイプの人がいるのだと知り、ほっとするような気もするし、ますます世の中が恐ろしくて、誰も信じられないような気がします。

豊田真由子議員のような人格はどのようにして生まれるのでしょうね?

 

もしかしたら秘書の方にも重大なミスなどがあったのかもしれませんが、だとしても普通あんな言葉づかいで、他人に対して言うでしょうか?

また、学歴もあって頭のいい人で、要領も良さそうなのに、録音されるリスクを少しも考えなかったのでしょうか?

怒りのコントロールができないのでしょうか?

 

しかし、あのような録音データがあったから、豊田議員の本当の姿を世の中に分かってもらえたわけですね。

私は10年以上も母親に暴力をふるわれておきながら、その間、どうして一度も録音するということに思い至らなかったのだろうと悔しく思います。

洗脳状態にあったせいもありますが、無念でなりません。

それで母をどうこうしようということではなく、そういう事実があったということを、誰か一人でも知ってもらえたら…あの苦しい時期に何か違っていたのかもしれないし、あんなに追い詰められるほど我慢しなくても良かったのかもしれない。

 

何もかも自分がバカで、勇気がなかったせいですが。

 

今となっては、もう絶縁している母なのでどうでもいいことですが、何かもっと対策は無かったのかと考えてしまいます。

 

ただ、父は母に録音機を仕掛けていました。

浮気の証拠を集めるためだったのですが、父が母の異常さをはっきり自覚したのは、父が録音機を仕掛けて、母の独り言を聞いてからでした。

母は独り言でも「クソが!」とか「死ね!」とか、毎日言っているのです。

 

父からの電話を切った後に、「死ね!死ね!」などと言っているのを、父が録音で知り、母に対して距離をおくようになりました。

母の罵詈雑言は、私は毎日聞いていましたけどね。

 

「お母さんがおかしい」

という私の訴えを、「確かにそうだ、あの人は何か変だ」と父が初めて同意して聞いてくれたのは、父が録音機のデータを聞いてからの事です。

「今更か」と思いました。

「前からあの人はああだよ。毎日毎日言っているよ。私が小さいころから」と父には言いました。

私は母の「死ね!」と聞きながら育ちました。

 

DV被害、パワハラアカハラ被害を受けている方、

録音は本当に大事です。

久しぶりの更新です(1年ぶり)

なんとか仕事に休まず行き、朝起きて夜寝るという、普通の生活ができるように心がけて毎日を送っています。

軽いウォーキングや呼吸法ですが、運動もするようになり、おかげさまで元気にしています。

最後のブログの更新からなんと1年も経過してしまいました。

あっという間の1年でした。

 

このブログは、自分が一番つらかった時、気持ちの整理をするために開設したブログでした。

自分の身に起こっていた、なんだかよく分からない状況を自分の言葉で語るということは、かなり意味のあることだったと、振り返って改めて思います。

私の経験したことは、誰が見ていたことでもなく、密室の中で巧妙に隠され、陰湿に行われていたことでした。

私が語らなければ、誰もその事実を知ることはないし、まして苦しみを理解してくれる人が現れることもない。

自分自身ですらも、その全容を理解することはできず、ただ「生きるというのはなんと苦しいことなのか」と思っていました。

普通に周りの人が生きているということが、自分にとっては不思議でした。

自分だけ耐性がないのだとすら思っていました。

 

語ることによって自分の経験を俯瞰して見られるようになりました。

思い出すと苦しくて、胃がしぼられるようになっていたのが、時が経って、フィルターを介したようにぼんやりとした記憶になりました。

刺激的すぎる記憶は、うまいこと思い出さないようになりました。

 

そして、諦め。

しょうがなかった、どうしようもなかった。

そして、過ぎ去っている。過去の事である。

今はそんな冷静な気持ちです。

 

数か月前、夫方の親戚が亡くなりました。

まだお若い方です。

ふと、父のことが気になりました。

こちらの都合は問わず、ストーカーのようにしつこいので着信拒否していますが、着信履歴は見え、月に1度か2度、電話してきていることが分かっていたので、半年以上ぶりに電話をかけました。

 

そうしたら、ギャンブルの途中でした。

今いいところなので、かけ直すと。

 

笑ってしまいますね。

三つ子の魂百まで。

病気は治らないんだなあ、と思いました。

 

あんなに執着し、一時は一日に何十件も電話をかけていた娘から、久々に電話があったのに切ってしまう。

父の脳みそは、ギャンブルの快楽が忘れられなくなっているのでしょう。

薬物依存、アルコール依存と同じです。

そしてそういう快楽が、家族との時間を過ごすことよりも何よりも勝ってしまうんです。

 

父だけが悪いのではない。

若かった父にギャンブルの遊びを教えた祖父の悲しい愚かさ

父の何もおもしろいことの無い環境と、人生と

日々の生活のストレスと

 

いろんなことを何もかもスーッと忘れさせてくれるのがギャンブルなのでしょう。

そういう逃避はきっとどんな人にも起こりうることです。

依存になりやすい脳というのはあるらしく、遺伝要因もあるそうです。

 

今さら父に大切に扱ってほしいなどとは思いもしませんが、改めてしばらく見なかった現実を突きつけられた気がしました。

それから「ああ、またか」という、幼少期から繰り返し繰り返し、がっかりさせられ、期待させられては裏切られた、あの感情を久々に思い出しました。

 

人というのは約束を守らないものだ

人の人格はガラッと変わるのもので、仏のような人が鬼のようになる

ということを、私は父から学びました。

 

 

マンガで分かる心療内科 依存症編(ネット・スマホ・ゲーム・ギャンブル・ポルノ) (ヤングキングコミックス)

 

ギャンブル依存国家・日本 パチンコからはじまる精神疾患 (光文社新書)

メールアカウント停止について

長い間ブログを休止しております。

仕事はなんとか行っています。

両親とはあれからも状況は変わらず、一切連絡を取っていません。

おかげで穏やかな生活ができています。

 

普段は人と話したり、会ったりすることはあまりないのですが、自分にとって人と関わらないことは安心できること

とりあえず他人と関わらないことで心の平穏を保てています。

 

ブログ用のメールについてなのですが、ながらく使っていなかったため、アカウントが消えてしまいました。

メールフォームはすでに削除してありますが、メールをいただいてもお返事ができない状況です。申し訳ありません。

 

連休中もどこにも行かず、家でずっと読書をしていました。

家は鍵がしっかりかかるので、少し安心です。

でも運動不足になってしまいそうですね。

 

時々思い出して怖い時がありますが、1杯お酒を飲みます。

とても弱いので1杯も飲めるかどうかという感じ

アルコール中毒にはならなくていいかな。

そのまま寝てしまえば、怖くありません。

メール募集ストップのお知らせと新しい世界に向かって

 以前、以下の記事をUPしていましたが、状況が変わってきました。

状況の変化についてはで書きます。

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メールお待ちしています。

(仕事多忙のためと、ありがたいことにメールを送って下さる方が多くなってしまったため、現在メールフォームからメールいただいてもお返事がすぐにはできない状況になっています。なので一度メール募集をストップさせていただきます。申し訳ありません。もし、お返事が非常におそくなっても構わなければ、メールフォームからご送信下さい。)

 

現在、自殺未遂や自傷行為はしておらず、仕事にも通えています。

しかし、うつっぽさや希死念慮からは完全に脱却できていない状況で、調子のいい時と悪い時があり、病院のカウンセリングにかかりながら治療中です(現在カウンセリングは通っていません。理由は以前通っていたところが移転してしまい、大変遠くなって通えなくなったためです。)

 

このブログを始めてから、似たような辛い境遇で育った方との交流ができ、励みになっています。

同じような境遇でお悩みの方や、また、健全な家庭で育ったけれどもこのようにすれば良いという意見、アドバイスをお持ちの方など、いろんな方のご意見を伺えれば嬉しいです。(ご意見、アドバイスをいただけたらもちろん嬉しいですが、今、お礼の返信もすぐにはできない状況となっています。)

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今までメールをくださり私がGmailから返信して交流のある方は、返信が滞りがちになってしまい大変申し訳ありません。

お返事が遅くても良ければいつでもメールください。

 

このブログを通じて、似た経験をされた方とメールでお話することができ、こんな経験をしたのは自分だけではないんだ、とりわけ自分が不幸だったわけでは無いんだと思うようになりました。

 

顔見知りの人間にこういう生い立ちに関する話は言いにくく、また改まって話をする機会もありません。

言ったとしてもそういう環境で育った自分の人間性を疑われるのではないかという恐怖もあり、打ち明けているのはごくわずかです。

 

こちらのブログで打ち明けたことで、過酷な子ども時代を過ごした方々とコメントやメールのやりとりをすることができ、視野が広がった気がしています。

 

今、仕事で新しい資格を取ろうかなと考えています。

相変わらず人間関係はうまくやれませんが、多くの人のいる職場に行くのが辛いので、独立できないかということも考えています。

大勢の中に行くのはとても怖いのですが、お客さんと1対1ならなんとかやれる気がしています。

 

こんな風に前向きに未来のことを考えられたのは産まれて初めての気がしています。

 

進学校を受験した時、大学に進学した時、最初の就職をした時、引っ越しをした時、結婚した時・・・

今考えると、私の人生の節目節目は全て母が決めてきました。

 

だから自分で何か大きな決断をしてやってみようと考えるのは実は初めてのことです。

初めてのことをする時、こんな風に心がワクワクするんだと生まれて初めて気が付きました。

今までは学校に入学するのも、結婚式も、なにもかもが義務でした。

 

でも、もう義務は果たさなくていい。

自分の人生を自分のものにします。

もう誰の言いなりにもならない。

強い心でやっていきます。

 

まだまだ人は怖いし、たくさん逃げもするとは思いますが、これからは能動的に生きて行くんだという決意が心にあります。

 

今までグレーだった世界に色が付いたみたいです。

自分の好きなことをやってもよいなんて、そんな当たり前のことが30過ぎるまで分からなかった。

 

私は生まれ変わりたいと思っています。

前を向いて行こう

やっと一週間が終わりました。

 

今週もなんだかもやもやしたことがいろいろありましたが、なんとか体調を崩すこともなくやりきった、それだけで良いとしようと思います。

 

今日は昼間にラーメンを食べました。

ちょっと油っぽくてお腹がいっぱいになったので、夜は雑炊にしました。

 

胃にもたれるという感覚は、大人になって一人暮らしをしてからほとんど無くなりました。

食べる時間や食べるものを自分で調整できるというのはありがたいことです。

 

親と絶縁してから、とても心が軽くなりました。

祖母のところに行けないことなど・・・一体どうしたらいいのか。

 

時に罪悪感も感じますが、今まで読んだたくさんの本や、いろんな方の言葉が支えになって、自分の人生を生きればいいのだと後押ししてくれている気がします。

 

実家はかなり遠いところなので、物理的にも帰れないという

 

仕事はしんどいですし、奨学金の返済が大変ですが、贅沢をするわけでもないのでなんとかがんばります。

少しでも貯金ができたらいいなと思うのだけど、元々給料が少ないのでなかなか貯まりません。

 

亡くなったのは・・・

実は、ひとつ前の記事に書いた亡くなった親戚というのは祖母のことです。

 

亡くなってから時間は経っているものの、身バレするかもしれないという不安があって、はっきり書けないでいました。

 

私を気にかけてくれていた祖母でした。

母と祖母との間には色々トラブルがありました。実の親子どうしです。

祖母について書いた以前の記事。

pinkmilkvetch.hatenadiary.jp

pinkmilkvetch.hatenadiary.jp

 

これから遺産の相続の話し合いに入って行くそうです。

もめそうであれば司法書士の先生など入れて、戦って行くそうです。

 

両親はとてもお金に困っているので、しっかり取るつもりだと思います。

 

私は、疎まれているのではと思うと祖母のお墓参りに行くこともできず・・・

 

どうしたらよいのか分かりません。

 

 

 

親戚の死と父との電話

ブログの更新をお休みして以降のことです。

親戚の人が亡くなり、親戚から連絡がきました。
お香典のことがあるので、私から父に連絡をし、一緒に持って行ってもらうことにしました。

父からはこちらに連絡できないように着信拒否してあります。
この電話は事務的なことだけで済みました。

母や兄に会いたくなかったので、お葬式にはどうしても行けない旨を親戚にこちらから伝えました。

 

数日後、夫が父に電話をしました。
夫は、私の代わりにたまに父と話してくれます。

その日、夫は父との電話で私に代わると言いました。

私は事務的なこと以外話したくなかったので、「嫌だ」と言ったのですが、連絡を取らなくなってからかなり時間も経っていたので夫も大丈夫だと思ったのでしょう。
「久しぶりだし代わったら」と言うので、しぶしぶ代わりました。

父との電話の内容はやはり「母や兄を許してやれ」ということでした。
「たとえどんなことをされたとしても、血のつながりは切れないものなのだから」

「そうまでして肉親を許さないのは、頭が固すぎるのではないか」

 

などなど・・・

 

父は時には激昂して、叱るように私に言ってきました。

 

またこの話か。

何度同じことを説明したら分かるんだろう?

本当に辛くなりました。

 

何度もした説明を繰り返しました。

「私に「母や兄に会え」と言うことは、私に「死ね」と言っているのと同じだ。」

「私が自殺未遂を繰り返したり、精神病院に入院する原因となっていたのは母と兄だ。」

「父にはいつか会ってもいいと思っているが、そういう話をしてくるのであれば、一生会うことは無い」

 

それから、

「もし、母や兄が私に許してほしいと思っているのであれば、二人が直接私に謝りに来るべきではないか?」

ということも言いました。
住所は分かっているのですから、着信拒否されていたとしても手紙なりなんなりで謝る方法はあるはずです。

「父に謝られたってどうしようもない、二人が私に謝罪しないのは、別に悪いとは思っていないからだろう」と。

 

このように説明しているうち、父は「どうして分かってくれないんだ!!」という気持ちになり、こちらも語気が強くなってしまいました。

 

父はそれでも「だけど・・・」という風に、反論してきました。

 

私は、

「父があの人(母)と一つ屋根の下で暮らせていることが驚きだ、よくあんな怖い女と暮らせるね」

ということを言いました。

「あの人は二重人格、恐ろしい面を持っている人だよね、よくあの人と一緒にいられるね」と。

すると、父も

「実は未だに家庭内別居していて、別の部屋で暮らしている。母のことは一切信用していない。」

と言い始めました。

「自分がそうなのになぜ人にできないことをしろというのか?」と言うと、「お前は親子だから」とまた堂々巡りです。

 

でも、私の強硬な態度に、父の口調も少しずつ弱くなっていきました。

そして父はこう言い始めました。

「(母に対して)『お前はかな子が小さいころに、死ねなど酷いことを言ったのか?』と尋ねたんだ。母は『イライラしていて言ったことがあるかもしれない』と白状した。『どうしてそんなことを言ったんだ』と問い詰めたけど・・・」と。

 

「言ったかもしれない」どころではない。

あの虐待は何だったんだ?と言いたかった。

鼻血が出るまで殴られたり、大事な物を破かれたり、捨てられたり、リモコンや物が飛んできて当たって痛い思いをしたり・・・

殴られたところがジンジン痛くて、自分がやったことはそんなに悪いことだったかと恥ずかしく、みじめな気持ちになりながら、心がズタズタで死にたくて、眠れなかった毎日。

 

母に殴られながら、辱められながら、私が一体どんな気持ちで生きのびてきたか、母には全く想像がつかないのかもしれない。

母の心には何も引っかかっていないのかもしれないと思った。

だけど、「イライラしていて(死ねと)言ったことがあるかもしれない」と認めたというだけで、少し溜飲が下がりました。


自己肯定力とプライドだけは人一倍の母だから、絶対に自分が悪いとは認めないだろうけれど、それでも少しでも後悔して生きて行ってくれたら。

私にやったことを心のどこかで一生悔やんでくれたらと思いました。

・・・でも、そうでなくても構わない。
母が私のことを何とも思っていなくてもよい。
出来の悪い不孝娘が、精神異常になって勝手にどこかに行った、と思っていてくれても構わない。

 

いずれにせよ母は、私の人生からドロップアウトした人なので、今後どのような人生を歩もうが、どのように考えて生きて行こうが知ったことではない。


母がどのように死ぬかは、神様が決めてくれると思っています。

 

父との電話の後、しばらく気分の悪さが続きました。

夫は

「お父さんがまだしつこくあんなことを言うとは思わなかった。代わらなければよかったね、ごめんね」

と言ってくれました。

それだけで、「私には味方が居てくれる」と、少しほっとしました。