いつか、雨はあがる。

幼少期からの虐待によってうつ病、パニック障害を発症。自殺未遂、向精神薬・安定剤依存、入院を経て、現在は非正規で働きながら兼業主婦をしています。対人恐怖を治療中。どのように自尊心を回復していくか、日々思ったことを書いていきます。

嫉妬の心と本当のしあわせ

仕事も普通に休まず行けて、家事もでき、しばらく順調にやれているかな・・・と思っていました。

 

先日、夫の友人に会ってお話しする機会があって、同い年の女性の方に会いました。

美人で自信に満ちていて、大変頭が良く、家族の愛にも恵まれているらしい女性。

話がとても面白く、お仕事でも忙しく活躍されているようで、何一つ文句のつけようのない素敵な方でした。

端々に出てくる実家のお話とか、ご主人のお話、過去の華々しい経験などが、彼女がとても恵まれた環境で育ったことを物語っていました。

 

もちろん、その方にも私が分からないレベルの悩みが色々とあったりするのでしょうが、今の自分にとってその方の存在は眩しすぎ、自分は同い年なのに一体どうしてこんな風なのかとかなり落ち込んでしまいました。

 

人と比べたりすることがそもそもまちがっているのでしょうが、どうしても卑屈になってしまう自分がいます。

 

どちらがどれだけ恵まれているかなんて分からないことで、私には私相応の仕事、私にふさわしい人生があるのだと思います。

今、私は彼女の半分、いや1/3も意味ある仕事ができていないかもしれないけれど、私は私の人生を生きて行くしかなく、自分が心地いいと思うこと(一人で居ること)をするしかないのでしょう。

 

私が彼女に対してとてつもない引け目を感じたのは、私の母親が理想としていた娘像と、彼女がかぶるからかもしれません。

きっと私の母親は私に彼女の様になってほしかったのだと思うのです。

一流大学を出て、社会的地位のある旦那さんと結婚し、一流企業に勤める。

私は未だに母親の価値観に捕えられているのでしょうね。

そういう人生を歩む体力や気力があり、そういう人生を幸せだと思える心があれば、私も母に愛されたのだろうか?と思ってしまうのです。

 

ただ、幼いころより母から殴る蹴るの虐待を受け、言葉の暴力を受けていた私には、そもそも堂々と往来を歩ける自尊心や自己肯定感が育っていません。

おしゃれな服を着ることすら怖いのですから。

だからきっと、どう転んでも彼女のようにはなれなかったでしょう。

 

時々私に無い全てを持っている人との出会いが、私の心を傷つけます。

私がどんなに努力しても得られなかった家族の愛情を、当たり前のように享受している人を見ると、醜い嫉妬の心がわきます。

手放せたつもりでいても家族への執着が未だにあるのでしょうね。

本当の意味で絶縁するために、家族のことを片時も思い出さないようになりたい。

そして自分の本当の幸せを、自分の価値観で見つけられる人間になりたい。

そのためには、私にはまだまだ一人で過ごす時間が必要なのだと思います。