対人恐怖を個性ととらえる
今日は仕事でトラブルがありました。
疲れてぐったりです。
自分が悪かったのかなーとも思います。
ホントに悪い癖なのですが、罪悪感が常にあるんです。
小さいころからなんでも私が悪いことにさせられてきたので、後遺症だと思うのですが、死にたくなるので変な考えの癖をやめたいです。
今日のトラブルはきっとあれしかやりようが無かったし、適切な対処だったのだと思い込んで忘れようと思います。
といってもまた明日対処の続きがあるわけなんですが、寝るときは忘れないと寝られなくなるので。
加藤諦三の『自分に気づく心理学』を読んでいます。
ミネラルウォーターを買ったりしてアマゾンのポイントがたまっていたので無料で買えてしまいました。
まだ読んでいる途中なのですが、人間関係に深く悩みすぎてしまうメランコリー親和型の人は、子ども時代に親から充分な愛情をもらえてないことが原因になっているということが繰り返し書いてある本です。
自分に当てはまることが多すぎて、そして自分でも自覚していることなので「まあそうだよなー」と思いながら読んでいます。
他者に奉仕的であり続けてしまう負のスパイラルからどうしたら抜けられるか、ということについては、今まで読んだところでは、
自分の気持ちの動きを良く知る(自分が本当はどう思っているのかを大切にする、我慢を当たり前にしない)
自分で自分を愛してあげる
というのが解決法のようでした。
私は自分ではなかなかこれがうまくいかないので、カウンセリングでいつも正してもらっています。
大人になってから完全に甘えられる相手などいないので、自分で自分を甘やかそうということのようです。
確かに、それしか方法が無いですよね。
自分は回避性人格障害的なところがあり人と一切かかわろうとしないので、多分職場でも変だと思われています。
でもそれで業務に著しく支障が出たということは今のところありませんし、「人に変に思われていようがどうでもいい」という気持ちを持たなくてはならないなと思いました。
職場は私の異常さを追究するところではありませんし、ちょっと変な人だなとは思われていても誰かが私をクビにするわけでもない。
会議でつるし上げられるわけでもない。
たとえば職人気質のおじいさんなど人と全然話さないような人もいるわけですし、そういう人もそれはそれで個性であり、自分の障害も個性としてとらえたらよいのかもしれないと思いました。