ストーカー実父
がんばって本を読んでいたら、とても調子を崩してしまいました。
『心的外傷と回復』は半分くらい読んで、お休みしています。
とりあえず、読んでよかった、非常にためになったと思う本は右サイドバーにリンクを貼りました。
複雑性PTSDや被虐待後の治療について、今後もできるだけ有用な情報を増やしていきたいと思います。
1冊ずつ詳しく感想も書きたいのですが、最近昔のことをずっと思い出してしまい、吐き気と震えがあります。
対人恐怖もひどくなり、職場で挨拶すらしにくいような状況です。
同僚と目を合わせることもできません。
そんな中、昨日、実父から夫にメールが来ました。
「来月そちらに行く」というメールだったそうです。
「行ってもいいですか?」でもなく、「何日が空いていますか?」でもありません。
「行く」というメールなのです。
父はストーカー気質なので、とにかく返事が欲しいのだというのは分かっています。「行く」と言えば「何日に来ますか?」とか「来ないでください」とか返事が来ると思っているのかもしれません。
本当に来るのか、それとも脅しなのか、返事が欲しいだけのレトリックなのか。
今まで、何度も何度も「連絡しないでほしい」、「しばらく放っておいてほしい」と実父には告げました。理由も言いました。
「父には今まで暴力も振るわれていないし、父とは時々話してもいい。しかし、父が母や兄の肩を持ち、母と兄との関係修復について説得してくるのであれば、話をすることはできない。私は母を一生許すことはないし、兄のことも許すつもりはない。」と。
その話をするごとに実父は「かな子の気持ちはよく分かった」とか、「もう連絡しないようにする」と言うのです。私はその言葉を聞いてほっとして、毎回「父が分かってくれた」とぬか喜びしていました。
しかし、それはその場限りの言葉。実父の「分かった」は全て嘘でした。
父はその後も絶対にあきらめず、しつこい電話、メールをしてきます。
「終わったことは忘れて水に流せ。」
「いつまでも人にやられたことをしつこく考えているんじゃない」
「実家に帰ってこい。」「お母さんはお前のことばかり考えている」
「たった四人しかいない家族なんだぞ。たったひとりのお父さんだ。(たった一人の兄だ、母だ)」
父の執着はものすごいのです。そして異常人格者である母に洗脳されています。
「水に流せ」は母の常套句です。
父から再び連絡が来るたび、「一体あの話し合いはなんだったのか?」という無力感にとらわれました。
「どうやったら伝わるか、あんなに必死に考え、順を追って長時間話をしたのに、何の意味も無かったのか」と。
話し合いの結果が無下にされ、振り出しに戻るたび、私は絶望しました。
このひとには、まったく一言も、話が通じない。
思えば、昔からそうだったのかもしれない。
父は人当たりは良いふりをして、絶対に自分を曲げない人だった。
競馬に行くと決めたら、家族に何があっても振り切って行く。
母を殴ると決めたら、私が土下座して頼んでも殴る。
そういう人でした。
書いていて、あの電話での話し合いは、結局父に「成功体験」を植え付けただけなんじゃないかと思えてきました。
「ごねて連絡すれば、娘が長時間話をしてくれる」という「成功体験」です。
私は父との会話で挫折感を何度も味わい、その後、父からの履歴の羅列を見るだけで、気分が悪くなるようになりました。
仕事に支障をきたすので着信拒否にすると、今度は夫の方に連絡が行き、揚句には義父の住所を調べて連絡して来ました。
実父が言葉巧みに義父に話をし、義父から「かな子さんがおかしいのでは」と言われた時には、目の前が真っ暗になりました。
昨日、父から「そちらに行く」というメールがきたことを、仕事中に夫からメールで知らされました。
私は自分の仕事を終え、むかむかする胃を我慢しながら、恐怖をごまかしごまかし買い物をすませ、帰って晩ごはんの支度をしました。
夫が帰ってきて食事を出し、一緒に食べながら、今日の仕事や父の対処について話していましたが、突然激しい吐き気に襲われてトイレに駆け込み、全部吐いてしまいました。
どこまでもどこまでも追ってきて、私が幸せになろうとすると必ず邪魔をする父と母。
悔しくて悔しくて、もうどうしようもなくて、洗濯場の方へ行って、声を殺して泣きました。そのうち声も我慢できなくなって、バスタオルで顔を抑えながら嗚咽しました。
夫がそっとやってきて、後ろからずっと抱きしめていてくれました。
そうしてもらっていると、次から次に涙が出ました。
「ただ二人で普通に暮らしていきたいだけなのに!」
「どうして、なぜ」
「なぜいつもいつもわたしの邪魔をするの!?」
どちらかが死ぬまで終わらない戦いかもしれません。
私は父が生きている以上、ずっとストーキングされ続けるのだと思います。