この世界は勝ち負け、罪悪感を持った方が負ける
今日は午後からの出勤です。
なんだかいろんなことを思い出してしまって、辛い周期に入っています。
昔のことなんて忘れ、楽しく、笑って暮らすことができたらいいのですが、やはり職場が辛いです。
仕事そのものが辛いわけではなく、人前に出ることがとても怖いです。
普通の人間のようにふるまうことにものすごく疲れてしまって、出勤が憂鬱でたまりません。
マスクで顔を隠して仕事するようにしていますが、大勢の人前で長時間しゃべらないといけないことがあり、やり終えた後は「なんとかやりおおせた」という達成感でほっとしますが、次の日はまた恐怖と不安でいっぱい・・・の繰り替えし。
昨日は安定剤を飲んで仕事しました。
しかし、我慢してがんばって仕事に行かなかったら、私は完全な引きこもりになってしまうと思う。
そうなったら、復職するのに尋常でない勇気と努力が必要だろうし、奨学金を返すこともできない。
主人も病気で、多くは働けないので、負担をかけるわけにいきません。
自分の食べる分と税金、奨学金は自分の力で払わないと、もし主人が居なくなってしまったら、それこそ一人で生活に困ります。
大丈夫、大丈夫、と自分を励まして頑張っていますが、
そもそも「どうしてこんなに自分は人が怖いのか?」
「どうして一人で居る時が一番心休まるのか?」
などと根本的なことを考えて行くと、やはり過去の母のふるまいに原因があるとしか思えず、
「母に人生をめちゃくちゃにされた」という気持ちで悔しく、辛く、どうしていいか分からなくなります。
普通の人になりたい。
とにかく、生活していく分だけのお金が稼げたらいいんです。
贅沢は望まない、質素な暮らしでいい。
色々と過去を思い出して、考えるのは、暴力的な人との関係は、しょせんどちらがどれだけ冷淡になれるか、どれだけ自分勝手を貫けるかで勝敗が決まるということです。
罪悪感を持ったり、後悔したりしなかった方が勝つんです。
そして勝った方が死なないで生き残るんです。
ちょっとでも「かわいそう」と思ったり、「自分が悪かったかな」なんて思った方が負けます。すこしでも思った方が負けです。
負けて行くと、どんどんだめなことにされて、そして最後は病気か、自殺しかない。
いい人が早く死ぬのはそういうことだと思うんです。
今元気で生き残っている人は、いろんな人の死を踏み台にして、厚顔無恥にも自分の責任を棚上げにしてきたずるい人だ、なんて思ってしまいます。
私の人間観がそんな風にゆがんでいるから、きっと他人が怖く、この世が生きづらいのでしょうね。
自分の考え方を治したいですが、人間への不信感が深く深く刻まれていて、どうやってもそれを拭い去ることができません。
どうしたらいいのか分からず、途方に暮れています。