いつか、雨はあがる。

虐待でうつ病、パニック障害を発症。自殺未遂、向精神薬・安定剤依存、入院を経て、現在は非正規で働いています。ようやく前向きになれてきました。

東電OL殺人事件

昨日は友人が遊びに来てくれました。

急だったので何も用意しておらず、家にあったお茶とみかんで歓待しました。

ちょっと緊張しましたが、そんなに長い時間ではなかったので、なんとかなりました。

お茶を飲みながら少し話をして、その後近くのお風呂に行きました。

 

湯船につかりながら、いろいろと話を聞いていたのですが、その友人の友人(以前に私も会ったことある)が大変な苦労をしてきた女性だと言うことが分かり、びっくりしました。

 

その人は、外資系の有名な大手企業に勤めるキャリアウーマンで、見た目もとても美人。

お洋服や持ち物のセンスも良くて、エレガントで、頭のよさそうな雰囲気の人です。

 

見た目から「すごいお嬢さまで、セレブなんだろうなあ」なんて勝手に思っていたのですが、友人から聞いた話は、まるで反対でした。

大変な貧乏な家に育ったそうで、虐待もあったらしく、今は帰る実家も無いのだそうです。現在も、大変な状況のようで、安定した暮らしではないとのことでした。

 

彼女と私とは、優秀さが全くちがいますが、その生い立ちがなんとなく自分とかぶり、胸が苦しくなりました。

そして、なんとかこれから幸せになってほしいと願わずにはいられませんでした。

 

私は精神不安定になってしまって、正職員で働くことができなくなり、今、細々と仕事をやっている状態です。

しかし、その方はそんな生い立ちでありながら、第一線で働いている。

入社するのにも大変な努力が要っただろうし、そこで仕事を継続しているのも並大抵のことではないと思います。一体どんな思いをされてここまできたのか…。

 

彼女の話を聞いて、先日、友人と「東電OL殺人事件」の話をしたことを思い出しました。

東電OL殺人事件 - Wikipedia

桐野夏生の『グロテスク』という小説の題材ともなった事件です。

当時は結構騒がれた事件だったと記憶しています。

私は数年前に『グロテスク』を読んだことがあるのですが、タイトルの通り、非常に後味の悪い、気持ち悪い、怖い本ですので、読むと具合が悪くなるかもしれません。(特に女性は注意です。私は読み返す勇気がないです。この小説と『東京島』で、桐野夏生が苦手になりました。)

この事件の被害者となった女性は、東電初の女性の総合職として入社した、大変優秀な人だったようです。

厳格な父にしつけられた彼女は、一家の大黒柱として家族に頼られるようになり、そして職場でのストレスやプレッシャーもすごかったのでしょう、精神のバランスを崩して、摂食障害(拒食症)になっていきます。

女性としての魅力を確かめたかったのか、それとも金銭に異常な執着があったのか分かりませんが、彼女は終業後、売春を繰り返すようになり、最後は殺されてしまいます。

 

私は、この女性も、実は虐待の被害者で、本人がそれに気が付いておらず、自分をどんどん責めて、精神的に異常な状態になっていたのではないかと思います。

 

私も長年、自分が一家の大黒柱として、家計を支えなければと思っていました。

父も母もほとんど稼いでおらず、非正規の私の給料が家族で一番多いという状況でしたので、家族は私を頼りにしていました。私もお金を出しておけば、家族から頼りにされ、不当な罵倒もされないのではないかという考えから、本当に必死でした。

 

実際には、実家の借金がいくらあるかも分からない。でも、親は「お金が無い、お金が無い」と言ってくる。

「これではお金がいくらあっても足りない」と思い、私はいつも駆り立てられるような気持ちで、不安がいっぱいで、気が狂いそうでした。

実際、当時は気が狂っていたんだと思います。

自傷行為や自殺未遂、大量飲酒に大量服薬を何度もしていましたし、事件の被害者のように、拒食症にも陥っていました。

どんなに稼いでもお金が足りないという強迫観念から、非正規の事務の仕事の他に、短期間でしたが、イベントコンパニオンやホステスなどの水商売の仕事もやっていました。

だから、彼女の気持ちが分かるような気がするのです。

被害者の女性は、もう完全に精神に異常をきたしてしまっていて、強迫観念にとりつかれ、売春を繰り返していたのかもしれません。

 

大手企業に勤める友人の友人も、ご飯が食べられないことがよくあるそうです。

客観的に見て本当に美しい、魅力的な方で、男性からも人気があるのに、異常に自己評価が低く、全く自信が無いということでした。

自己肯定感を高め、しあわせになるには、やはり自分で自分の置かれている状況に気が付き、虐待の事実に目を向けるしかないような気がします。

「自分が愛されていなかったのかもしれない」なんて考えることは、本当に怖いことです。簡単にはできないことです。

そして、親のせいにするのも難しい。

でも、不当な扱いをされてきたことを認めて、異常な環境に居たことを認識して、その事実に怒って、泣いて、悲しんで、自分を慰めることができた時、はじめて、自分のための人生が始まるのではないかと思います。