100か0かの考え方をやめる
今日は安定剤を飲んで仕事に行きました。
いつも飲まないように飲まないようにと頑張ってきたのですが、今年になってから
「あまりに辛い時は飲んでもいいんじゃないか」
っていう心境になってきました。
ただし、安定剤にばかり頼らない、依存しないということは重々自分に言い聞かせています。
安定剤を飲むと、少し恐怖がやわらぎ、普通にとはいかないかもしれないけれど、一応仕事をやり遂げることができました。
前回書いた義父への愚痴・・・
いつもブログへは、自分の本当の気持ちを書くようにしています。
汚いことも、卑しいことも何もかも、自分の嫌なところを全部出して、毒抜きのつもりです。
義父への愚痴を書いてから、いろいろ考えていました。
自分は物事を100か0かで考えるところがあるな、、と。
自分の母もそうだったのです。
境界性人格障害の特徴と言える、他人に対しての、極端な理想化とこき下ろし、というやつです。
好きになった人はとことん好きで、何をしても持ち上げ、ほめたたえる。
嫌いになった人はとことん憎んで、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いで、一挙手一投足をあげつらって悪口、罵倒。
自分もそうだなーと思って、反省しました。
義父には嫌なところもたくさんあるし、プチ毒なのかもしれない。
主人にとっても昔からストレスになっているようだし、主人の病気の原因になっている気もする。
でも、0点にして、憎み切るべきではないのかもなと…。
自分の実親のことは、何度も何度も許しました。
どんなに嫌なことをされても、我慢し続けて許し続けた。
何回もチャンスをあげて、結局もうだめだと感じ、絶縁を決意しました。
でも義父との関係はまだ始まったばかり、数年の関係です。
100点ではないけれど、私に良かれと思ってしていてくれることも分かるし、悪気もあるわけでは無いのだと思う。
点数を付けるなら、60点くらい・・・の義父かな。
だから、極端に「もうだめだ」となってしまうのではなくて、もっと落ち着いて考えようと思いました。
最近、メールフォームからメールをいただくことがあり、本当にこちらも勉強になっています。
お返事を書くことで心の整理にもなっています。
似たような経験をされた方が居て、その苦しみが手に取るように分かり、涙が出ることもあります。
どうかこれから本当の幸せを取り戻して、平穏に暮らしていってほしいと願わずにはいられません。
よく考えながらお返事していますので、返信が遅くなることもありますが、気長にお待ちいただければと思います。