正体の見えない恐怖からの脱却
ずっとおかしいと思っていたけど、「おかしい」とは決して言ってはいけなかったこと。
このブログに吐き出すようになってから、よくまあ自分は大人になって、今普通の人のふりをして働けているなあと、改めて思うようになりました。
20代は、ただ怖い、毎日怖い。
でも何が怖いのか分からなかった。
漠然と、親が怖いと言うのは分かっていたけど、でも周りを見ても、親に感謝しこそすれ、「親が怖い」だなんてことを言う人は誰もいなかった。
話しても、誰も分かってくれなかった。
むしろ「あなたのようなおじょうさんを育てたのだから、素晴らしい親御さんなのでしょうね。お会いしてみたい」なんて言われたことすらあり、ぞっとした。
小さいころからずっと、外聞良くするために嘘を吐かされ、胸いっぱいの不安や、泣き叫びたいような恐怖を押し殺して、他人と笑顔で接して来ました。
私の外づらも、相当鍛えられていたのかもしれません。
毎日漠然とした不安で、上手く呼吸ができない。
食事がとれず、眠れず、死にたくなる。
病院で訴えると、薬を処方された。
どんどん処方された。
家族の異常さも訴えたが、「考えすぎ」、「治療を求めていない家族は診察できない」の一言ですまされ、
「とにかくあなたは疲れていてうつ病だから、よく休みましょう」
と言われるばかりだった。
貧乏で、引っ越しと転職を繰り返しており、ネットを引く余裕も無く、情報は何もなかった。
薬を飲んでも飲んでも良くはならず、ただ一時の恐怖を紛らわせるだけであって、逃げたいがあまり、飲酒を伴うオーバードーズや自傷を繰り返すようになった。
堕ちるのは簡単でした。
「とにかく首を吊るしかない。仕事を休むんだったら首を吊るしかない。」
体があまりにしんどすぎて、起き上がれない。でも、仕事を休むくらいなら死なないといけない。
どう考えても異常だけど、そういう思考回路だった。
でも、私を安心して休ませようとしてくれる人は誰もいませんでした。
いつも、頭の中に、自分が首を吊っているイメージがあり、決して消えることはありませんでした。
そこから、私の様子をみたり、病院に付き添ったりしてくれる今の主人に出会いました。
あの時は本当に主人に申し訳ないことをした。
自分でも不安の正体が何か分からず、逃げるために何度も自傷をしたり、薬を飲んだり、首を吊ったりして、怖い目に合わせたと思います。本当に申し訳ない。
そのうち、私もだんだん肉親がおかしいことということが自覚できてきて、意識して距離を取るようになり、主人と結婚してから、私の心はだいぶ軽くなりました。
苗字が変わってからの私は、別人になれた気がしました。
まだとらわれている部分もありますが、旧姓と一緒に、ひどい過去を捨て去り、生まれ変わったようです。
ネットもつないでもらい、いろいろなことを調べていくうちに、私と似たような親を持つ人も多くいるということが分かってきました。
そして、私が悪いわけではないのかもしれないと思うようになりました。
勧められた関連書籍もいくつか買って読み、対処法についても学びました。
罪悪感を持たなくていいと自分に言い聞かせ続け、まだ怖くなることもありますが、徐々に洗脳から解けていく感じがあります。
主人と私は共依存なのでしょうかね?
そんな風に言う人もいます。
鬱病の人なんかと結婚すると不幸せになると言う人もいました。
お金がある人がいいと。
そういう反対意見を聞きながらも、私は全く揺らがずに、今の主人と結婚しました。
この人は私のことを正当に見て、考えてくれる人だと確信していたから。
何度自殺未遂しても、家族にはお金と見栄の心配しかされなかった。
でも、主人だけは違っていました。
嘘なんか言う必要ないし、がんばらなくてもいいと。
ただ、逃げることはだめだと言われました。リハビリとして、人前に出続けた方がいいと。
きつかったですし、今もきついですが、それは私のために言ってくれているって分かりました。
主人は理系で医療系の人のためか、ドライな対応で、決してやさしくはありませんでした。
しかし、本当に私のためを思って言ってくれている感じがありました。
だから、それだけでいいって思いました。
初めて自分を見てもらえた気がしました。
お金とか、立派な肩書きとか、なんにも要らないと思いました。
今、主人と家計のことを協力し、毎月やりくりして黒字になるようにしています。
お金も、体がしんどいだろうに、主人の方が私より多く稼いできてくれます。
普通の人よりは少ない給料かもしれないけど、それでもちゃんと税金が払えているし、借金は無いし、ギャンブルも酒もたばこも暴力もない。
ひどいことを言われたりもしない。
自分より大人の人格の人と生活するって、こんなに楽なことなんだと、今、私は子どもに戻ったような気分で、甘えて生活している気がします。