卑劣な人間
5月、母と大喧嘩し、法律相談、心理相談に行く上で、今まで長年されてきたこと(暴力、暴言、金銭搾取)について、他人にも分かるよう、客観的資料にしてまとめる必要がありました。
私を突き動かした理由は、他人(婚家)に迷惑をかけたくない、ただ一つ。
自分だけだったら我慢できただろうが、もう限界でした。
そうして、今までのことを編年形式で文字に起こしてみると、まあ、ほんとに酷いことばかりされてきたんだと、改めて気が付いて、愕然とした。
親からしてもらったとか、ありがたかっただとか思い、親の愛だと勘違いしていたことは、 その場その場で私をいいように使うための母の巧妙な手口にしかすぎず、
それに私が一人で一喜一憂して、愛情だと勘違いして躍らされていただけなんだと、はっきり気が付いた。
そして、こういう問題を相談しようと思った時、世の中に窓口のなんと少ないことか。
医者も、カウンセラーも、今まで誰ひとり、私の言うことに耳を傾けて助けてくれなどしなかった。
猫物語の翼ちゃんは、アララギ君が家を見に来てくれて、その異常性を認めてくれるけど、私にはそんな人は誰も居なかった。(結局アララギ君も助けだしてはくれないよね。)
誰しもに、「そんなに嫌なことなら、大人だから逃げられるだろう」という先入観もあったのだろうが、それがどんなに難しいことか、サイコパスに付け入られたことのない人には分からないに違いない。
私の中には、いつもいつも不安感と恐怖感と罪悪感があって、今もその感覚が心のほとんどを占めている。 法律も医療も味方ではない。
日本の民法、刑法は、親子関係や家族関係にはすごく甘くて、例え暴力を振るわれたり、お金を取られていたとしても、なかなか問題にすることができないということ、
そして、長年洗脳のような状態にあって、私自身、能動的にお金を送っていたりもするので、過去のことを訴えるとかどうこうするのはもう無理とのことで
ずっといいようにされ続けてきたという私の怒りとか悔しさは、もうこれからどうすることもできない。
母は普通以上に心が弱い人で、そのストレスを私で発散するしかなかったのだろうし、 私自身がもっと強い精神力を持っていれば、こんなに長い年月、いいようにされなくて済んだのかもしれないけど・・・
そんな自意識を持つことさえ許されなかった。
自分のためにお金を使っていいんだと思えはじめたのがここ最近です。
一体自分は何のために産まれてきたんだろう、私を早めに暴力かなんかで殺しといてくれるか、母が死ねばよかったのにって気持ちが拭えない。
カウンセラーさんは
「これからの婚家での生活の中で、自分を認めてもらい、自己肯定感を高めていければ、考えの癖も時間はかかるけど治る」と言っていた。
こんなにも自信の無い私は、うまく婚家でやっていけるだろうか。
休みになり、友達に誘われ、1日外に出かけたが、元気な無邪気な人を見ると、うらやましくてたまらない。
綺麗に着飾り、無邪気に笑い、自分の思う自分像を体現し、それでも罪悪感を感じなくてもすむ人々。
若さを謳歌し、好きなファッションに身を包み、自分のために財布を開いて、買い物に興じる人々。
今までは自分がみじめな気持になるだけだったが
秋葉原の通り魔事件の加藤智大がやったことの気持ちがわかるような心境になる時もある。
きっと外に向けば殺人になり、うちに向けば、私のような慢性的なうつ病になる類の
どす黒い怒り、悲しみ、マイナスの感情が、どうにも自分で消化できないようだ。
どうして私だけ、という思いに支配されることがある。
「多分、他の人にも多かれ少なかれ、いろいろなストレスがあるにちがいない」と、そんな想像で自分を慰めるような卑劣な人間です。