閉鎖病棟での生活2
「閉鎖病棟での生活1」の続きです。1の記事は
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少しでも人に誇れる仕事に就くように、早く正規の職に就くようにという母の期待、
そして、お金があったら月1万でも2万でも送って欲しいと言う父の要望に駆り立てられながら、フルタイムの正規職についた私でしたが、うまくいかず、閉鎖病棟に入院することになってしまいました。
閉鎖病棟では、薬をちゃんと飲んだかどうかを看護師さんに見せないといけませんでした。口に薬を入れて、水を飲んで、口を開けて看護師さんに見せます。
当時の私の診断は、被害妄想のある「統合失調症」でした。
リフレックスという薬が処方され、私は正直飲みたくありませんでしたが、監視の中、飲まないわけにはいきませんでした。
刑務所のようで、ものすごく屈辱的でした。
当時の私は、自分の頭は正常でただ死にたい衝動が時々起きるだけだと思っていましたが、今思い返してみると、急に泣き叫んで
「母がおかしいんです!ほんとうです!」
と看護婦さんや医者に激しく訴えたりしていて、かなりおかしい行動をとっていました。
とても追い詰められた精神状態でした。
そんな興奮した状態で、いくら「母がおかしい!私はおかしくない!!」などと叫んでも、叫べば叫ぶほど周りの目は冷たくなりました。
「はいはい、いいから落ち着いて」
と、おかしい人を見る目つきであしらわれ、「電話をかけたい」とナースセンターの窓から呼んでも無視され続けました。
でも、それはしかたのないことでした。
カギのかかった閉鎖病棟と、正常な人が生活する向こう側では世界が全く違うのです。
私以外にも「電話をかけたいからテレフォンカードをくれ」とか「爪を切りたい」とか「おやつを買いたい」とか色々な要求を通そうとする人が、ひっきりなしにナースセンターの窓をたたいていました。
看護師さんは全ての要求に応じるわけにはいかなかったのでしょう。
私は分かってもらえなさに悔しく、どうしていいか分からず、ただただひたすら泣き続けました。テレビのある食堂のテーブルの隅で、ずっと突っ伏して、タオルを握りしめながら、泣き続けました。
私はおかしくなんかない!!
正常だ!
おかしいのは母だ・・・私の家だ・・・
そして、私を捨てて行った元彼も。
どうして誰も助けてくれないの?
どうやったら私は悪くないと分かってもらえるの?
一生懸命勉強したし、何もかも一人でやってきた。
関わってきた人たちには誠意を尽くして接してきた。
誰にも悪いようにはしていない。
水商売をしたこともあったけど、すべてはお金のためだった。
家族のためだった。
私は何もかも、全てけがれてしまった。こんなはずじゃなかった。
どうしてこうなってしまったんだろう?
統合失調症や認知症の女性が、時々心配して私を見に来てくれました。
「大丈夫?」と声をかけたりもしてくれました。
私はとてもそれが嬉しかった。
実家に電話をかけましたが、母は決して出ませんでした。
父が電話に出て、「そんなところにいたら大変だろう、どうしてそんなところに入ったのか。保険をかけておけばよかったのに、保険に入る前に入院をして」
と笑いながら言われました。
私の体調を慮る言葉などひとつもなかった。
でもそんな電話でも、私には嬉しかった。本当に保険をかけておけばよかった、と思いました。
私も笑いながら父に「早く退院したい」と言いました。
結局、私の両親が病院に来たり、私を迎えにくることはありませんでした。
日用品を差し入れたり、お見舞いにきてくれたのは、義父と義母と今の主人でした。
主人は私の状況を大変心配して、ひどく疲弊していました。
この入院の時、母がなんにもしてくれなかったこと。
私の体調を気遣ったり、励ましたりする言葉のひとつもかけてくれなかったこと。
私を無視し続けたこと。
このことが、私を諦めさせる一つのきっかけになったように思います。