いつか、雨はあがる。

幼少期からの虐待によってうつ病、パニック障害を発症。自殺未遂、向精神薬・安定剤依存、入院を経て、現在は非正規で働きながら兼業主婦をしています。対人恐怖を治療中。どのように自尊心を回復していくか、日々思ったことを書いていきます。

アダルト・チルドレン(AC)という言葉

ACという言葉はどのような文脈の中で使うべきなのか?

 

機能不全家庭・・・つまり、なにか問題のある家庭や親の元で育ち、その「問題状況の中を一生懸命生きて大人になった人」のことをアダルト・チャイルド(AC)というそうです。

しかし、この「AC」という言葉は、さまざまな文脈の中で、異なる意味合いで使われることが多い。

 

「大人になりきれない未熟な人」という意味で誤用している人もいますし、アルコールや薬物、ギャンブルといった嗜癖がやめられない人の意味で使われている時もあります。

もっと乱暴なことを言ってしまうと、「私はACだから(共依存になってしまいがちだ、うつ病だ)」などと免罪符のように使っている場合もあります。

 

この言葉を使っている人自身も、何が正しい定義が分からず使っている節があるような気がします。

私自身も、この言葉を一体どういう風に使うべきなのか、よく分からないのです。

 

それで、私は「AC」という言葉があまり好きではありません。

「私はACだ」と自称することにも、なんだか違和感を感じています・・・。

 

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「私はACです」と言ったとき、それは何を意味するか。

 

以前、私はACA(アダルトチルドレンアノニマス)というACの自助会に行っていたことを記事に書きました。

記事はこちら→初回カウンセリングに行ってきました。 - いつか、雨はあがる。

 

ACAはアメリカ発祥で、非常に良心的な団体です。

実際に行ってみたところ、HPに書かれている通り、集まりに料金はかかりませんでした。

お金を払うかどうかは参加者の気持ちで、袋が回ってきて、100円でも50円でもかまわない。出さなくても大丈夫です。

なので、もしお住まいの地域でミーティングが行われていれば、お財布にやさしい癒しの会であることには違いないです。

 

しかし、合う合わないがあると思います。

『ACのための12のステップ』というテキストを輪読して、勉強していくのですが、

しかしこのテキストの翻訳があまり上手くなくて読みにくい上に、キリスト教的な考え方が背景にあり、クリスチャンでない私には理解しにくいものでした。

 

また、「分かち合い」という独白を一人一人順番にやっていく時、話始める前に「ACの〇〇です」と名乗り、それに対して周りの人が「はい、〇〇」と応じて、話を始めます。

私は「ACのかな子です」と名乗って話し始めたわけなのですが、そのように名乗ることになんとなく抵抗を感じて、だんだん行かなくなってしまいました。

 

多分、ACだと自称するとき、他人がどう思うかなど関係なく、「自分は幼少期から心に傷を負ってきた」と自覚することが大事なのでしょう。

しかし、一口にACと言う時、そこには

「私はAC(で、依存症に現在進行形で悩んでいます)です」

「私はAC(で、依存症は必至の苦労で脱却し、今幸せになろうともがいています)です」

「私はAC(で、普通に日常生活を送れていますが、メンタルケアが必要で求めています)です」

と、言外にいかようにも読み取れ、その人がどの段階にいるかは、その人個人にとってはすごく大きなことであり、ひとくくりにはできないと思うのですが、どうでしょうか・・・。