アレルギー症状に悩まされた幼少期~思春期
私は小さいころから、怖いことや辛いことがあると、いつも神様に祈っていました。
近くの神社のお参りにはよく行きましたし、道端のお地蔵さまにも手を合わせました。
家にあったお仏壇にも手を合わせたら良かったのでしょうが、自分の家の仏壇の部屋は一番北側の暗い部屋で万年床になっていましたし、怖かったのであまり落ち着いて手を合わせることはありませんでした。
たとえば母に理不尽に当たられたり、殴られたりしたとき。
両親のけんかが何か月も続くとき(仲のいい時はまれでした)
母が私の部屋を漁って、見つけた手紙や日記の内容に対して「気持ち悪い」と罵倒された時。
いつも神様にお祈りしていましたが、何の効果もありませんでした。
そのうち、私は諦めて、毎晩寝る前に「どうかこのまま死ねますように」と祈るようになりました。
たまに家族でお墓参りに行くことがあって、(必ず父が行こうと言い出すのですが)そうすると北の部屋のお仏壇にもお花が飾られることがありました。
しかし、そのまま放置しておくので、花は茶色く枯れて、水は腐っていました。
私の部屋もぐちゃぐちゃでした。
いつも母に汚いと怒られ、「お前は不潔な女だ、汚いのが好きなところが〇〇子に似ている!」(〇〇子は母が嫌いな親戚の女性の名前)と罵られるので、私も自分がどうしようもない怠け者の汚い女だと長年思っていました。
しかし、今、主人と結婚して、誰に罵られたり怒られたりするわけでもなく、自分のペースで生活したら、部屋はそんなに汚くなることはありません。
たまに不安になって、主人に「部屋が汚いんじゃないか、私は掃除はできているか」と尋ねると、「充分きれいだし、生活しているのだから多少の生活感が出るのは当たり前。テレビドラマにでてくるようにはならない。大丈夫。」と言われます。
実家に居た時は、年中足がダニの噛み跡だらけ(夏にスカートになるのが恥ずかしいくらい)、アレルギー性結膜炎で目が開けられない(目薬必須)、アレルギー性鼻炎で滝のように鼻水が出続け眠れない、アトピー性皮膚炎で肌はボロボロ、ひどいと膿んでいる状態。
母はそういう私の状態もバカにしました。
「汚くて人前に出せない!病院代や薬代ばかりかかる!」と言われました。
別居している義理の祖母が私の症状を心配し、毎日神社にお参りして、良くなるように祈ってくれていたくらい満身創痍でした。(母はこの義理の祖母も、ものすごく頭が悪くて悪魔のような女だと言い続けていました)
しかし、一人暮らしを始めてから、それらの症状は全てぱったりと無くなりました。
症状が酷い時は目を開けて黒板を見ることもできず、かゆくて眠れず、死にたいとすら思った症状でしたが、アパートで独り暮らしをしてみると全て治ったのです。
しかし、実家に帰って泊まると、必ずまたそれらの症状が現れました。
私は実家に帰る前には、必ず強力な抗アレルギー薬を処方してもらって帰省するようになりました。
往復のお金はかかるし、症状は重くなるし、必ず母には嫌なことや、自分がいかに不幸かを聞かされるので、実家には帰りたくありませんでした。
帰った後は必ず調子を悪くして、1週間は寝込みました。
それでも、私の帰りたくないという意見が通ることは一度も無く、「帰ってくるのが当たり前!常識!」という強い言葉に押されて、しぶしぶ帰りました。
アレルギーの薬を飲んでいるので頭はぼーっとしますし、帰っても嫌なことしかないのは分かっていますから、どうしても笑顔で元気に帰ることはできません。
母はその様子を見て「元気がないから職場でも認められないんだ、そんな態度だからお前は成果もあげられないし、なにもかもうまくできないんだ」と言い続けました。
根はやさしいが愚かな父は、帰ってきたばかりの私の充血していない目を見て「目がとってもきれいになった、治って良かった」と言いました。
父も年中アレルギーの症状に苦しめられています。
そんな父も、自分本位の人ですから、私が帰ってきても競馬に行き、母と一緒に私の元気が無い態度を責め立てて、説教をしました。
そして3人で一緒に川の字で寝ることを強要するのです。
18を過ぎた娘です。
私は断固断って、一人で物置になっている自分の部屋で眠りました。
カギも無い部屋です。(昔母が、私がカギをかけてしまわないように壊しました)
帰途につく時は、本当にほっとしていました。
早く帰りたい。そればかりでした。
今、私が生活している部屋は、安いボロアパートですが、ダニに刺されることもなく、アレルギー症状が起こることもありません。
主人もぜんそく持ちなので、ダニには非常に気を遣っていて、床はできるだけフローリングのままにし、じゅうたんではなく、ビニール製のマットを敷いています。
布団は敷布団も掛布団もコインランドリーで丸洗いできる抗ダニのものにしています。