いつか、雨はあがる。

虐待でうつ病、パニック障害を発症。自殺未遂、向精神薬・安定剤依存、入院を経て、現在は非正規で働いています。ようやく前向きになれてきました。

高校生でおねしょをしてしまう私

JUGEMテーマ:毒親
 
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今日は暖かかったですね。なんとか仕事を終えて帰り、晩御飯も食べました。
主人も体調不良になってしまったので、鮭のお茶漬けと豆乳バナナジュースを作りました。

鉛を飲んだような、いや~な苦しみと不安感は続いていますが、メールをくださる方、職場で助けてくださる方がいるので、必ず時が癒してくれると信じています。

母のことを思い出そうとすると、怖くてぼんやりしている部分がいっぱいあります。
毎回ブログを書きながら記憶をたどって、「そういえば」と思い出すことがたくさんあります。

「猫物語(黒)」というアニメに登場する羽川翼という女の子には、家の中で自分の部屋がありません。
私には「自分の部屋」という名目のものはありましたが、それは自分の部屋であって、自分の部屋ではありませんでした。
カギはありませんでしたし、母はいつでもどんな時でも私の部屋に入れるようになっていました。
前の記事でも書きましたが、私の机やかばん、洋服のポケットは全部漁られ、日記や手紙とは全て読まれ、描いたイラストは1枚1枚気持ちが悪いと罵られながらビリビリに破かれて焼かれました。

どんなに巧妙に隠しても、母は必ず次の日に見つけ出すのです。
私は監視カメラがあるのではと思い、部屋中を探し回りました。
でも、どこにも見つかりませんでした。
母は私が学校に行った後に、部屋の隅から隅まで漁っていたのでしょう。

漫画やライトノベル類は絶対に許されず、友達からこっそり借りたものは見つけられて、焼かれました。小学生の私は友達になんと言って謝っていいか分からず、弁償代として自分のお小遣いを渡しました。

その友達は優しく許してくれたのですが、今考えると、彼女はうちの母のよく怖さを理解していたように思います。
うちに遊びに来ていても、私の母が買いものから戻ると、窓からさっと逃げて、さよならも言わずに居なくなっていました。
もしかしたら、うちの母から何か言われていたのでしょうか。
それでも彼女は、うちの母が仕事でいない時を見計らって、よく本を持って遊びに来てくれました。

私は、小学校高学年になると、名目上の自室で、一人で寝ることを望みました。
今思うに、少しでも母と離れていたかったのです。
「夜遅くまで勉強するから」という理由で、私はできるだけ一人で寝るようにしました。
隅から隅まで漁られる部屋の中で、苦しいというメモすら書くことができず、唯一の楽しみはラジカセと文学小説でした。
堅い活字の小説であれば取り上げられることはなかったので、私は小中高と本ばかり読んで過ごしました。

「英会話の勉強をするから」と言ってウォークマンを手に入れ、買ってもらったクラッシック音楽や、昼食を抜いて貯めたお小遣いで買ったヴィジュアル系の音楽で、耳にふたをし続けていました。

そうしないと父と母の罵声が聞こえてくるからです。
しかし、あまりに激しい物音がした場合には、暴力で誰かがけがをしたのではないかと耳をすませなければなりませんでした。
喧嘩がエスカレートしてくると、止めに入る必要もありました。

私は一生懸命、そして、ひっそりと、息を殺して自分の世界を守りました。
でも、どうしても家族と川の字で寝なければならないことがありました。
父と母はいろいろな理由を付けて、私と同じ部屋で寝ることを望みました。
それは大学生になって、たまに帰省した時もそうですし、結婚後、婚家に両親が招かれた時もそうでした。
母は主人と義父を同じ部屋にさせ、私は父母と一緒に寝るように言いました。
川の字で寝ることは強制でした。
「たまにしか会えないから親孝行だから」と言って、同じ部屋で寝させられました。
義父も夫も、「一人しかいない娘だから大事にされているんだね」と言い、うちの両親の望むようにしました。私は嫌で嫌でたまりませんでした。

高校生の時も、私の部屋にバルサンを炊いたからとか、ムカデが居たからとか、そんな理由で母と同じ布団で寝させられました。
恥ずかしい話なのですが、そうすると、高校生の私は何故か必ずおねしょをしてしまうのです。

よく母は、私がすぐにおむつが取れて、ちっとも泣かない、手のかからない赤ん坊だったことを話します。
赤ちゃんの時におむつがすぐに取れ、幼少期もおねしょなんて全くしたことのない私が、高校生にもなって何度もおねしょをしてしまうのです。

うちの布団は上げ下ろしなどせず、万年床になっていましたし、母に告げればまた散々バカにされるのは分かっていましたので、私は早朝に気づかれないように着替えをし、布団をタオルで拭いて、そのままにしていました。
みじめで恥ずかしくて苦しい気持ちでいっぱいでしたが、そんな風になっても、自分が悪いのだとずっと思っていました。