もう親を棄てようと思った時
最近は実家から連絡もなく、とりあえずは平穏な暮らしをしています。
今日は仕事が早く上がりでした。
私は職場には純粋に仕事だけしに行くという感じで、同僚とプライベートな会話をしたり、職場以外で会ったりは一切していません。
休憩はバラバラに取るので、同僚と休憩が重なったり、ランチを共にしたりする機会もありませんし、自分の仕事が終わればそれで帰っていいので、できるだけ効率よく仕事を終わらせて直帰するようにしています。
本当は、もっと同僚とも親しくなれればいいのですが。。
元々すごく具合が悪い時に紹介があった仕事で、会社にも体調が思わしくないという事情を分かってもらって入ったので、無理せず自分のペースでやることを心がけていて、職場の人ともある一定の距離を保って付き合っています。
勤め始めた頃は、通勤だけでぐったりで、朝、身支度をするのも苦痛で仕方ありませんでした。思えば鬱の症状が治りきっていなかったのでしょう。
前の職場でフルタイムで働いていた時、過剰なストレスから体を壊してしまって、自傷やオーバードーズ(大量服薬)を繰り返してしまい、結局出勤することができなくなり、入院してしまいました。
当時、家族からの期待が大きくあり、しかし、体がそれに付いていかない。
親は私の仕事が気に入らない、もっといい職業に就けるはずだ、などといろいろ言ってくる。
日々の業務は激務で、慣れない仕事や人間関係のストレスもあり、親の期待に沿うようになどと言っている場合ではありませんでした。
徐々に睡眠薬が多くなり、心が蝕まれ、「家族が怖くてたまらない」、「家族から逃れるために死にたい」、「仕事を辞めるのなら死ななくては」というような精神状態になっていきました。
病院では「被害妄想」で「統合失調症」だと診断され、入院になりました。
「統合失調症」
その病名にびっくりしたものです。
その診断名のおかげで、親からは本当に嫌なことばかりをされ続けているのに、何度主治医や看護師さんに言っても「それはあなたの妄想だから」と一蹴されるようになりました。
「とにかく薬を飲め」と言われ、私は自分が本格的に気が狂ったような気がしました。
このあたりの恐怖は、書ききれないので、また稿を改めて詳しく書きます。
そして退院後、仕事も退職。
失業保険をもらいながら実家に居ることにしたのですが、実家の家族が原因なのですから、良くなるはずは無く、症状はますます悪化。
私はアルバイトから始めて復職のためのリハビリをさせてくれと言いましたが、両親は外聞が悪いからと許してくれませんでした。
さらに、仕事をやめて実家に戻ってきていることが近所にばれたら困るという理由で、外出さえも禁じられてしまいました。
「どうしてアルバイトではだめなのか、こんなに体が辛いのに、一体どうやってフルタイムの正規職に就けというんだ」と私が言ったときは、「口ごたえするな!お前はうじうじ考えてひきこもりの頭のおかしい気持ち悪い女だ!!キチガイだ!」などと言われ、顔を殴られました。
もう成人していますし、やり返せばいいのでしょうが、幼い時からの洗脳で萎縮して、母にやり返すなんてできないのです。
親からしたら、大失敗のできそこないの娘に思えたのでしょう。
大学を出て、お金をたんまり稼いでくるかと思ったらそれもできない、周りに自慢できるような職業にも就けない、なにもかも思い通りにならない娘でした。
私の精神状態はめちゃめちゃでした。親の言う通りにできなければ生きている価値はないと思い込むようになっていました。
親には「うつ病」などというものが理解できないようでした。
自分たちはストレスを暴力やギャンブルで発散できるのだから良いのです。自分がノイローゼになる前に、子供に手を上げてスッキリすればいいのだから。
私は何度か首を縄にかけましたが結局死にきれず、母親に見つかって、縄を没収されてしまいました。
そんな状態なのに、病院は必要ないと精神科に通院することも許されませんでした。
当時私の支えだったのが、携帯電話で細々とやっていたツイッターでした。
同じような鬱の症状の人たちとツイッターで知り合い、私は親にこんなことを言われた、というようなことを少しずつ書き込むようになりました。
フォロワーの人の反応は、できるだけ早く親御さんと距離を置いた方がいい、というものでした。
私はほとんどお金も持たないまま、実家を出て、また一人暮らしを始めることにしました。
もう一日でも実親と同じ空気を吸うのが嫌でした。
毎日死ね、死ねと言われているようで、このまま親の言うなりになっていたら、本当に頭がおかしくなってしまうと思ったのです。
フルタイムで働いていた時のお金は、引っ越しや税金の支払い、奨学金の返済で0になってしまいました。
なんとか生活を立て直さなければ・・・
私は新しいアパートを借りて、飲食店のアルバイトの面接に向かいました。