友達への告白
今日は昼間は気温が上がってあったかかったですね。
ジャケットを着て仕事に行ったらちょっと暑かったです。
今仕事の休みが週1日しかなくて、(とは言っても早めに帰ってこられるのですが)お給料も少ないですが、こんな風に働けるようになったことがうれしいです。
こうしてブログに書いていると、子供のころから本当に地獄みたいなことがいっぱいあったのに、何度も死のうとしたのに、それでも今こうして、家庭を持って仕事も家事もしている。
普通の人間のように生活ができている。
自分は良くやっている・・・と改めて思ったり。
上を見るときりがないし、もっと努力をしないと!と思ったりすることもありますが、そもそも産まれた時からマイナス出発の環境だったのです。
家族に足を引っ張られまくって、、それで今の生活水準まで頑張ってきたのですから、自分は自分を認めてあげないとなあ、、と思います。
ちょっと疲れてしまったので、今日は私を支えてくれた人の話を。
24でパニックを発症し、薬を飲むようになってから、私は2年ほど疎遠気味になっていた幼馴染と再び連絡を取るようになりました。
ちょうどその頃、彼女も仕事の人間関係で悩んでおり、上司から嫌がらせのようなことをされて、心身の調子を崩していました。
彼女は医療系の仕事をしていて、精神系の病気や薬にも知識や理解があったため、色々と相談にのってもらいました。
私が食事を取れないことを知ると、家まで来て食べさせてくれたこともありました。
ある日、彼女がふさぎ込む私を心配して、遊びに誘ってくれました。
私は外に出るのも怖い状態で、発作も繰り返し起きていましたが、ほかにすがる人もおらず、彼女が何度も誘ってくれるので、出かけることにしました。
私は一言も発せないくらいの精神状態で、とにかく外が怖く、笑うこともできず、服装や化粧にかまうこともできず、ぼろぼろのひどい状態でした。
彼女はよくあんな私を嫌がらずに受け入れてくれたなあと思います。
そして、一緒に入ったレストランで食事を注文して、私は彼女に促されるまま、辛い思いを話しました。
どこから話していいのか、自分が何を辛いと思っているのかすら分からない状態でしたが、私はその時初めて、自分の家庭がおかしいかもしれないことを彼女に話したと思います。
そんなことを人に話すのは初めてのことでした。
そのうち、注文した料理が運ばれてきて、彼女は食べ始めましたが、私は一口、二口しか食べることができずに、そのまま泣きました。
周りのお客さんが見ていたかもしれませんが、そんなことを気遣う余裕もないくらい、激しく泣き続けました。
そして、「お母さんが認めてくれない」というようなことを言った気がします。
思えばあの告白が、自分の本当の問題を理解するための第一歩でした。
そして、長くて辛い闘病生活の始まりでもありました。
彼女はそれから長い間ずっと、私のそばに居て話を聞いてくれました。
今でも私の一番の友達で、困ったことがあるとすぐに相談をしあう仲です。
彼女の存在が無かったら、私は今こうしてここに居ることもなかったとおもいます。
彼女には感謝しかありません。