いつか、雨はあがる。

虐待でうつ病、パニック障害を発症。自殺未遂、向精神薬・安定剤依存、入院を経て、現在は非正規で働いています。ようやく前向きになれてきました。

生きていくための大量服薬

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結局、職場では派遣社員として4年間働くことができました。

その間も、精神科には通い続けました。

発作が起きそうになったり、起きてしまった時には、すぐにデパスを飲みました。

デパスは劇的に効く、というわけではありませんでしたが、すぐに効き目が現れて緊張がほぐれるような気がしました。デパスは、私のお守りのような薬になりました。

酷い発作が起こったときは、恐怖のあまり、処方されている量の2倍、3倍を飲んでしまうこともありました。そのうち、大丈夫な時はできるだけ薬をためておいて、しんどい時まとめて飲むようになりました。

夜も辛くてたまらない時、死にたくてたまらない時は、やりすごすために睡眠薬と酒を一緒に飲みました。

次の日仕事が休みと分かっている時は、ためておいたハルシオンを1シート飲んだりもしました。

ハルシオンを大量に飲むと、体がふわふわし、そのうち健忘が起こって、次の起きると食べたはずのないカップ麺の空が部屋に転がっていたりしました。

あまりお酒が飲めなかった私は、薬を飲んでいる時だけ辛い思考から解放されました。

いつも死にたい死にたいと思っていたため、自分の身を傷つけるような薬の飲み方をしてしまっていたのですが、こんな薬の飲み方は結局病気の治りを遅くするだけだったと思います。

こんな風に追い詰められてしまっていた本当の原因は、自分が母に精神的依存をしていたことでした。

仕送りをしてくるわけでもなく、病気の心配も一切なく、地位の高い仕事に就いてお金を送ることだけ求めてくる実家

普通に考えれば誰でも切り捨てるでしょう。

しかし、貧乏な実家を、母を救ってあげなければならないという訳のわからない義務感が私の中にありました。

母の期待にそえない娘になったから、死んでしまわないといけないんだといつも自分を責めていました。

自分と家族の問題に根本的原因があることに気が付かなければ、病気は本当の意味で良くなるはずありませんでした。

私は、世の中の難治性のうつ病の人の何割かには、こういった根本的原因に気が付かず、(もしくは自分の中で見ないように蓋をしていて)ただ投薬治療だけでなんとかしようとしている人がいるのではないかと思っています。

根本的原因が何かはっきり分かっていても、それが取り除ける類のものでないこともあるかもしれませんが。

私の場合、ストレッサーは実家の家族で、しかも私はすでに家を出て遠く県外に住んでいましたので、気が付いてから徐々に距離をおくことは、意識すればできました。(精神的には非常にきつく、つらいことでしたが)

そして、客観的な目を持って助言してくれる友達や、今の主人に巡り合えたおかげで、自分の置かれた環境の異常性を徐々に認識できました。

産まれてから24歳まで、長い時間母からの洗脳を受けてきたわけで、私自身母への依存状態にありました。そこから解放されるにはまた長い時間がかかりましたが、母と決別することで病気から回復できたと考えています。

こういったいわゆる「毒親」とよばれるような家族からの虐待や支配から、精神的に逃れる方法については、さらに詳しく書きたいと思いますので、また稿を改めます。