カウンセリングから精神科受診へ
大量の市販薬と酒を飲んで自殺を試みるも、結局死ぬことはできず、私は大学付属のカウンセリングにかかることにしました。
大学のカウンセリングは予約制でした。カウンセラーは年の近い女性の方で、1度目のカウンセリングではうまく話せませんでしたが、2度、3度と重ねていく内に、いろいろなことを話せるようになりました。
しかし、その間にも、私は大量服薬を重ねていました。大学には自由に入れる屋上があり、飛び降りようとして、行ってみたこともあります。ちょうどその時は鍵がかかっていて入れず、私は誰もいない階段の踊り場で突っ伏して、声を殺して泣きました。
誰か殺してくれ!!
死にたい!・・・でも死ねない・・・!
そのうち、死にたい思い、苦しい思いをどうしようも処理できず、手首をカミソリで切るようになりました。怖くて深くは切ることができず、浅い傷をたくさん付けました。テレビドラマで見たように傷口を水に付けてみたりもしましたが、痛すぎてそもそも深く切ることができず、意味がありませんでした。傷が癒えてくると、またその上から切りました。
その後も長年、その癖は続きました。
付けた無数の傷あとは私の手首に残っており、私は今も堂々と人前で手首をさらすことができません。
カウンセリングでは、感じている辛いことをいろいろ話すことができましたが、自傷行為を続けていることや自殺企図があることはなぜか言えずにいました。
しかし、ある日、私はカウンセラーさんに泣いて震えながら、大量服薬を何度もしてしまうこと、手首を切ってしまうこと、死にたいという思いがぬぐいきれないことを訴えました。
それまで気丈を装って、できるだけ冷静に胸のうちを語っていた私でしたが、その日は感情が止まらず、人前で自分を取り繕うこともできませんでした。
1人暮らしで実家が遠く、そして頼る家族も無い私にとって、助けを求められるのはカウンセラーの方だけだったのです。
カウンセラーの方はとてもびっくりして、私はその日のうちに精神科にまわされました。
大学には、学生が無料でかかれる精神科が付属しているのですが、あまりにかかる人が多いので、まずはカウンセリングにかかり、それでもだめな人は精神科にまわすシステムになっていたようです。
その時点で、恐怖の発作は1日に1度でなく、2度、3度と起こるようになっていました。そして慢性的な吐き気で食事をとることもままならず、158センチで40後半あった私の体重は30キロ代になっていました。
精神科ではドグマチールとデパス、ベンザリン、ハルシオンが処方されることになりました。
その時の私は、「それで治るんだ」と救われた気持ちでした。
お医者さんの言うとおりにこれを飲めば、この苦しみから解放されるのだと。
しかし、これが7年に及ぶ長い闘病生活の始まりであり、薬物依存症のきっかけでもあったのです。