いつか、雨はあがる。

幼少期からの虐待によってうつ病、パニック障害を発症。自殺未遂、向精神薬・安定剤依存、入院を経て、現在は非正規で働きながら兼業主婦をしています。対人恐怖を治療中。どのように自尊心を回復していくか、日々思ったことを書いていきます。

母からの虐待

今日は私を産み、育てた母のことについて書きたいと思います。

私は東北の、小さな田舎町に産まれました。

父は自営業をしており、母はその仕事を手伝っていました。

幼いころの私にははっきり分かっていませんでしたが、今思えば、私が産まれたころから、父の仕事はうまくいっていなかったのでしょう。

父はほとんど家に帰ってこない人でした。

私の一番古い記憶は、母から隠れるために息を殺して物置に潜む記憶です。

3歳くらいのころでしょうか。

母はとにかく気まぐれな人で、機嫌がよく優しい時もあれば、訳もなくヒステリーを起こして、私を叩いたり怒鳴り散らしたりすることもありました。

多分ものすごく情緒不安定だったのでしょう。

母が電話で何かを激しく言い合って、怒り、涙している様子もよく見ました。

そんな時、私は大好きな母が辛い目にあっているのではと心配になり、「お母さん、どうしたの?大丈夫?」と声をかけるのですが、母は反対に逆上して、私に折檻をしました。

家の一番奥にある、北側の暗い部屋に閉じ込められて、母にボコボコにされたこともあります。

殴られる理由は何もありませんでした。

私はただ恐ろしさで泣き叫び、「うるさい!黙れ!近所に聞こえる!」などと言われながらひたすらに殴り続けられました。

気が付くと、恐怖のあまり失禁していました。

母はそれに気づくと私をさらに馬鹿にして罵り、自分で始末しろ!と言って、どこかへ行ってしまいました。

跡が激しく残るほどではありませんでしたが、そういった暴力が日常的にありました。

そんな母と私の関係だったのですが、家族外の人に対外的に見えている姿はまったく違っていました。

母は見栄っ張りで外面が異様に良く、私は友達の誰よりもきれいな服を着て、バイオリンや水泳、習字なども習わされていました。

勉強もそこそこできたので、周りには優等生のお嬢様だと思われており、母も私がそのように思われることを望んでいました。

物心ついた時から、私は漠然と「ここから逃げたい」、「この世から消えたい」と感じており、常に体調不良でした。

小さい子どもに、他の家庭がどんな風かなど知ることはできません。

自分の母親がおかしい人間なのではなどと、疑うこともできません。

自分の世界のすべて=母親なのですから、母は正しい。自分がいけないのだと、ただそう思っていました。

しかし、なんだか分からないけど、ただただ生きるのは苦しく、つらい。

私はストレスのせいか、それとも埃っぽい部屋のせいか、慢性的なアレルギー症状に悩まされ、結膜炎、皮膚炎、ぜんそくでいつも具合を悪くしていました。

夜は遅くまで寝付くことができなくて慢性的な睡眠不足。

おなかはいつも痛くなる。両手の爪は噛み癖で、すべてぼろぼろになっていました。

幼稚園~小学校低学年では優等生とみなされていましたが、小学校高学年になると、家族全員が朝寝坊をするようになり、遅刻が増えていきました。

私は先生に仮病を使うよう母親に言われ、罪悪感を感じながら嘘をつき続けました。

家では、リモコンや本を投げつけられたり、なわとびの縄でムチのように叩かれたり、そういった暴力が相変わらず続いていました。