いつか、雨はあがる。

虐待でうつ病、パニック障害を発症。自殺未遂、向精神薬・安定剤依存、入院を経て、現在は非正規で働いています。ようやく前向きになれてきました。

前を向いて行こう

やっと一週間が終わりました。

 

今週もなんだかもやもやしたことがいろいろありましたが、なんとか体調を崩すこともなくやりきった、それだけで良いとしようと思います。

 

今日は昼間にラーメンを食べました。

ちょっと油っぽくてお腹がいっぱいになったので、夜は雑炊にしました。

 

胃にもたれるという感覚は、大人になって一人暮らしをしてからほとんど無くなりました。

食べる時間や食べるものを自分で調整できるというのはありがたいことです。

 

親と絶縁してから、とても心が軽くなりました。

祖母のところに行けないことなど・・・一体どうしたらいいのか。

 

時に罪悪感も感じますが、今まで読んだたくさんの本や、いろんな方の言葉が支えになって、自分の人生を生きればいいのだと後押ししてくれている気がします。

 

実家はかなり遠いところなので、物理的にも帰れないという

 

仕事はしんどいですし、奨学金の返済が大変ですが、贅沢をするわけでもないのでなんとかがんばります。

少しでも貯金ができたらいいなと思うのだけど、元々給料が少ないのでなかなか貯まりません。

 

亡くなったのは・・・

実は、ひとつ前の記事に書いた亡くなった親戚というのは祖母のことです。

 

亡くなってから時間は経っているものの、身バレするかもしれないという不安があって、はっきり書けないでいました。

 

私を気にかけてくれていた祖母でした。

母と祖母との間には色々トラブルがありました。実の親子どうしです。

祖母について書いた以前の記事。

pinkmilkvetch.hatenadiary.jp

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これから遺産の相続の話し合いに入って行くそうです。

もめそうであれば司法書士の先生など入れて、戦って行くそうです。

 

両親はとてもお金に困っているので、しっかり取るつもりだと思います。

 

私は、疎まれているのではと思うと祖母のお墓参りに行くこともできず・・・

 

どうしたらよいのか分かりません。

 

 

 

親戚の死と父との電話

ブログの更新をお休みして以降のことです。

親戚の人が亡くなり、親戚から連絡がきました。
お香典のことがあるので、私から父に連絡をし、一緒に持って行ってもらうことにしました。

父からはこちらに連絡できないように着信拒否してあります。
この電話は事務的なことだけで済みました。

母や兄に会いたくなかったので、お葬式にはどうしても行けない旨を親戚にこちらから伝えました。

 

数日後、夫が父に電話をしました。
夫は、私の代わりにたまに父と話してくれます。

その日、夫は父との電話で私に代わると言いました。

私は事務的なこと以外話したくなかったので、「嫌だ」と言ったのですが、連絡を取らなくなってからかなり時間も経っていたので夫も大丈夫だと思ったのでしょう。
「久しぶりだし代わったら」と言うので、しぶしぶ代わりました。

父との電話の内容はやはり「母や兄を許してやれ」ということでした。
「たとえどんなことをされたとしても、血のつながりは切れないものなのだから」

「そうまでして肉親を許さないのは、頭が固すぎるのではないか」

 

などなど・・・

 

父は時には激昂して、叱るように私に言ってきました。

 

またこの話か。

何度同じことを説明したら分かるんだろう?

本当に辛くなりました。

 

何度もした説明を繰り返しました。

「私に「母や兄に会え」と言うことは、私に「死ね」と言っているのと同じだ。」

「私が自殺未遂を繰り返したり、精神病院に入院する原因となっていたのは母と兄だ。」

「父にはいつか会ってもいいと思っているが、そういう話をしてくるのであれば、一生会うことは無い」

 

それから、

「もし、母や兄が私に許してほしいと思っているのであれば、二人が直接私に謝りに来るべきではないか?」

ということも言いました。
住所は分かっているのですから、着信拒否されていたとしても手紙なりなんなりで謝る方法はあるはずです。

「父に謝られたってどうしようもない、二人が私に謝罪しないのは、別に悪いとは思っていないからだろう」と。

 

このように説明しているうち、父は「どうして分かってくれないんだ!!」という気持ちになり、こちらも語気が強くなってしまいました。

 

父はそれでも「だけど・・・」という風に、反論してきました。

 

私は、

「父があの人(母)と一つ屋根の下で暮らせていることが驚きだ、よくあんな怖い女と暮らせるね」

ということを言いました。

「あの人は二重人格、恐ろしい面を持っている人だよね、よくあの人と一緒にいられるね」と。

すると、父も

「実は未だに家庭内別居していて、別の部屋で暮らしている。母のことは一切信用していない。」

と言い始めました。

「自分がそうなのになぜ人にできないことをしろというのか?」と言うと、「お前は親子だから」とまた堂々巡りです。

 

でも、私の強硬な態度に、父の口調も少しずつ弱くなっていきました。

そして父はこう言い始めました。

「(母に対して)『お前はかな子が小さいころに、死ねなど酷いことを言ったのか?』と尋ねたんだ。母は『イライラしていて言ったことがあるかもしれない』と白状した。『どうしてそんなことを言ったんだ』と問い詰めたけど・・・」と。

 

「言ったかもしれない」どころではない。

あの虐待は何だったんだ?と言いたかった。

鼻血が出るまで殴られたり、大事な物を破かれたり、捨てられたり、リモコンや物が飛んできて当たって痛い思いをしたり・・・

殴られたところがジンジン痛くて、自分がやったことはそんなに悪いことだったかと恥ずかしく、みじめな気持ちになりながら、心がズタズタで死にたくて、眠れなかった毎日。

 

母に殴られながら、辱められながら、私が一体どんな気持ちで生きのびてきたか、母には全く想像がつかないのかもしれない。

母の心には何も引っかかっていないのかもしれないと思った。

だけど、「イライラしていて(死ねと)言ったことがあるかもしれない」と認めたというだけで、少し溜飲が下がりました。


自己肯定力とプライドだけは人一倍の母だから、絶対に自分が悪いとは認めないだろうけれど、それでも少しでも後悔して生きて行ってくれたら。

私にやったことを心のどこかで一生悔やんでくれたらと思いました。

・・・でも、そうでなくても構わない。
母が私のことを何とも思っていなくてもよい。
出来の悪い不孝娘が、精神異常になって勝手にどこかに行った、と思っていてくれても構わない。

 

いずれにせよ母は、私の人生からドロップアウトした人なので、今後どのような人生を歩もうが、どのように考えて生きて行こうが知ったことではない。


母がどのように死ぬかは、神様が決めてくれると思っています。

 

父との電話の後、しばらく気分の悪さが続きました。

夫は

「お父さんがまだしつこくあんなことを言うとは思わなかった。代わらなければよかったね、ごめんね」

と言ってくれました。

それだけで、「私には味方が居てくれる」と、少しほっとしました。

久々の更新です

本当に久々のブログ更新です。

最後の記事の更新日を見ると去年の12月になっていました。

ブログ更新を休んでいたのに伴い、メールチェックの方も怠っていました。

久々に確認したところ、メールをくださっていた方が何人かいらっしゃいました。

お返事がとても遅くなってしまって申し訳なく思っています。

返信しましたので、うまく届いていると良いのですが・・・。

 

こんなブログ、誰も読む人も居ないだろうと思っていたのですが、気にしてくださったり心配してくださったりする方も居るのだと知り、とても励まされました。

本当にありがとうございます。

みなさんはいかがお過ごしでしょうか・・・?

最後の記事から8か月・・・


その後わたしはどうしていたかと言うと
2015年度の仕事の契約更新をしまして、また少し今までと違った仕事をすることになりました。

またもや慣れないことだらけなのに、「数年やったから分かっているだろう」と勝手に仕事量が増やされてしまい(給料は変わらずです)、追い立てられるようにやっています。

途中で上司から理不尽に当たられたり、忙しすぎてわけが分からなくなったりと精神的に辛いこともありました。

辞めようとも何度も思いましたが、なんとか続けてやっています。

 

これからは前を向いてやっていこうと決めてから、自分の体の健康にも目を向けるようになり、ウォーキングやストレッチなどの運動も始めました。

有酸素運動をすると鬱にも良いということで、週に2回は、できるだけハアハアと少し息が切れるくらい、体を動かすようにしています。

 

自傷行為や大量服薬を繰り返していたころから言えば、びっくりな変わりようです。

自分の体を大切にしようという気持ちになっています。

 

有酸素運動が功を奏してか、以前よりも少し気分が上向いてきたように思います。

前ほど落ち込んだり、死にたくなったりする日は少なくなりました。

 

人と関わるのは相変わらず怖く、職場の人とも話せていません。

ですが、最近は「もうこれでいいか」と諦めの境地に至ってきました。

治そうとしてもなかなか治らないし、急に社交的になれるわけではない。

このまま「無口な人」、「内向的な人」というキャラで行けばいいのではないかと思ってきました。

人と話せないせいで、トイレに行けないのも辛いですが、あまりカフエィンや水を飲まないようにするなど対処しています。

 

肉親とのことについて、母や兄とは一切かかわっていませんが、父や親戚とは連絡を取る機会がありました。

もちろん自分から望んで連絡したわけでは無く、仕方ない経緯があってのことだったのですが。

・・・結局、嫌な思いをしました。

またことのことについては記事を改めて書きます。

元気でやれています

おかげさまで、肉親の噂や話を聞くことも無く、元気にやれています。

何事も無い毎日が、こんなに幸せなことだとは。

 

相変わらず職場でも誰とも話をしませんが、それでも仕事をやっていれば仕事は終わる。

誰とも話をしないでよい今の環境が少し心地よかったりするくらいです。

周りも私はそういう人だと思って、声をかけてこないので、孤独と言えばとても孤独ですが楽ですよ。

 

私はもう、もっとお金を稼ごうとか、もっと上に行こうとか思っていません。

母は私にいつも「もっともっと」と求めてくる人でした。

だから、私はずっと戦い続けてきました。

そして、戦って必ず勝たなければなりませんでした。

 

でももうそれをやめて、とても今楽です。

生きているだけでいいと、今は思っています。

 

少しトンネルを抜けたかもしれない

祖母から母についての連絡を受けて・・・

 

心がとてもざわついていましたが、また実家に連絡を取ったりすることは無く、あくまで他人事と言う感じで毎日過ごしました。

仕事でも大変なことがいろいろあったのですが、同僚と少しだけ話ができたりして、前より職場に居るのが辛くなくなりました。

 

仕事がとても忙しく、忙殺されていると、いつの間にか母のことも忘れ、そしてとにかくこなさないといけないので人が怖いことも忘れている時があります。

 

そして、前は「もっと稼がなくては!」と怖かったのですが、最近になって少し貧困妄想が和らぎました。

借金を返して、残りのお金で貯金が1万でも2万でもできていればそれでいい、そんな風に思うようになりました。

 

少し、肩の力を抜いて仕事をするように心掛けてみています。

 

それから、タロット占いのこと・・・

遊びでですが、友達や知らない人にやる機会があり、時間をみて10人くらいやったのですが、とても喜ばれました。

いろんな人に「当たっている」と言われ、「直観力がすごい」と言ってくれる人までいてびっくりしています。

そして素直に嬉しいです。

これを本業でやろうなんて気はもちろん無いのですが、実は今の仕事が少し占い師に近い?というか、カウンセラー的な仕事なので、この仕事を10年くらいやってきた結果、自然と身に着いた力があるのかな…なんて思っています。

 

今まで仕事してきたこと、苦しいながらも少しずつ努力してきたことが無駄じゃなかったのかもしれないと、嬉しい気持ちになりました。

 

やはり、私は人を助けたり、勇気づけたりするような仕事をしたい。

本業も辛いですが、来年も続けてやれたらいいなと今は思っています。

もちろん、また具合が悪くなればここに吐き出しにくると思いますが…

 

一つトンネルを抜けて、自分のやりたいことが見えてきたような気がしています。

自分の人生を歩くんだ。

一歩ずつ。

生きるのは苦しい、死ぬのも苦しい

いつも星やコメントをくださる方、本当にありがとうございます。

 

自分にはいつも飢えた感じがあります。

誰かに話を聞いてほしい、共感してほしい。

そして他人をあんまり信用してないので人と関係がうまく築けないです。

 

でも今日は、自分のこと、知り合いにちょっと打ち明けてきました。

後でしゃべりすぎたかも・・・・って後悔して死にたくなりましたが・・・

でも笑って、否定するわけでも無く聞いてくれました。

ありがたかった。

 

久しぶりに会ったけど「また痩せた?」って言われてしまいました。

なんだかいつも拒食傾向があるのですよね。

頑張って食べないとすぐに痩せてしまいます。

羨ましがる人もいますが、羨ましいなんてものじゃなくてかなり辛いですよ。

筋肉も落ちますから。

 

生きるのは本当に苦しいですね。

世の中の人はどうして笑っているんでしょう。

そして死ぬのはどうしてこんなに難しいのかな。

逝ってしまう人はかんたんに逝ってしまうのにね。

そういう人は神様にゆるされた人なんだろうか?

 

でも、このブログにくるといつも癒されています。

世の中には善意があるのも真実なんだなあって。

 

私にできるのは、とにかく働くことです。

どんな仕事をするかは、とっても自由なんですよね。

今の仕事を絶対にやり続けなければならないって、前の私なら思っていました。

それが母の希望だったし。

でも、今は別に、自分のやりたいと思う仕事をやってみたらいいのですよね。

もう何に縛られることもないんだと思います。

 

たまにははめをはずしてもいいのかもしれないし、薬飲んだっていいのかもしれない。

自分のケアをしないといけないんだろうなと思います。

 

このブログを読んでくださる方も、どうか自分を大切に。

自分を許してくださいね。